肥前名護屋城(唐津市鎮西町)の観光案内所の女性(60)は「大名たちが言うように、きつかった」。3月、同僚と初めて「歩く会」に参加した。城跡から起伏のある上場台地を抜け、唐津城下に至る約15キロの「太閤道」である◆豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として築いた名護屋城。軍勢が通った道には難所があり、常陸の大名・佐竹義宣の家臣は書状(1592年)に「佐志峠とて、ことの外急な坂にて候」、山中が続き「人馬ともことの外草臥(疲労)しもうし候」(2018年刊『佐志の歴史』)◆どれだけの人が往来したのだろう。当時、大坂城に次ぐ規模で、約150人もの大名が参集し陣屋を構築。軍事拠点だけでなく政治や経済、文化の中心になり、人口は20万人とされる。全国の人・モノ・情報が集まった巨大都市だ◆22日に「名護屋城大茶会」が開かれる。歴史学者3人のトークショー、武将隊や鷹匠(たかじょう)らの出演に茶、能といった今につながる文化体験も。石垣と重ね合わせ、430年前の世界にいざなってくれる。近くの太閤道でガイドがついた約1時間の散策もある◆「勉強になるし、また挑戦」という女性は、足に痛みが出て残り2キロほどで離脱。数日後、残った行程を歩きなおしたそうだ。「大名たちはどんな思いだったのか」。切り開かれ、踏み固められた山道が想像をかきたてる。(松)
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