草場佩川(はいせん)(1787~1867年)は現在の多久市多久町に生まれ、東原庠舎(とうげんしょうしゃ)を修了後佐賀藩校弘道館で古賀穀堂に、江戸の昌平黌では穀堂の父精里に学びます。早くから気鋭の学者として知られ、1811(文化8)年の朝鮮通信使の来日の際には精里とともに通信使と応接し、通信使より「天下の奇才」と称されました。
このときのことを佩川が著した記録が『津島日記』です。対馬の風土や人々の暮らし、通信使たちの行列や彼らを迎えての儀礼の様子、日本側、朝鮮側双方の宿舎の配置や、朝鮮国王からの土産品などが挿絵とともに詳細に記されています。中でも通信使船の寸法や材質まで記した詳細なスケッチは、これをもとに韓国で通信使船が復元されるなど、貴重な資料です。
佩川は教育者として東原庠舎や弘道館で教べんをとり、役人として時の多久領主を支え、また詩歌書画にすぐれ数多くの作品を残しています。
さて、2015年4月から10年間、85回にわたってお送りした多久物語も、今回が最終回となりました。長い間ご愛読ありがとうございました。紙面ではお別れとなりますが、多久市郷土資料館で皆さまのお越しをお待ちしております。