春の訪れを告げるフキノトウ。絶えずいのちは受け継がれていく

 鶏舎の片隅で水仙に出合った。水路の脇にフキノトウを見つけた。朝日はまぶしく暖かで、夕空はあかね色のグラデーションだった。気づけばもうじきお彼岸の頃、山村も春の気配に包まれている。

 20年間僕らの暮らしを応援してくれてきた方が心筋炎で倒れた。一命を取り留めたが、その後脳内に血がたまり、腎臓機能が低下した。入退院を繰り返しながら、透析をしないという決断をされた。その決心をどう受け止めたらいいのか。

 若い頃画家への夢を諦め、装飾デザイン会社を立ち上げて、成功された。時に言葉は厳しかったが、たくさんの若い人を応援されて、人望があった。幾度となくけんかをしたが、家族のように付き合ってきた。

 先日深い悲しみを意味するグリーフケアの映画を見た。人生は喪失の連続であり、悲しみが深いほどに愛の深さがあるという言葉があった。さまざまな悲しみの形のある中に、悲しみを分かち合い、織り込みながら、共に生きていけばいいと言い、その姿があった。

 まだしばらく僕らは彼のそばにいることができる。人生を導いてくれた大切な縁から離れずに、敬意を秘めてただただそばで笑っていたいと思う。(農家カフェ店主 小野寺睦)