もうそろそろかと、この連休に梅を見に出かけた。寒の戻りに身を震わす日が続いたせいか、残念ながら、わずかに膨らみかけたつぼみばかり。ふと空を仰ぐと、枝先に一輪、もう一輪、白い花を見つけた◆気象エッセイスト倉嶋厚さんによると、梅の開花は年によって約50日もずれるという。桜に比べると3倍ほどの開きがある。古人は「探梅」といって、冬のうちに早咲きの梅を探しに野山を歩いた。梅花に出会えればよし、出会えなくても構わない。冬枯れの中に春の兆しを見つけるのをよろこびとした◆きょうは道真忌。遠い大宰府へ左遷されたあるじを一夜で追ったという「飛梅」の伝説はよく知られている。ままならないことの多い世の中で、厳寒に耐え、ようやくつぼみを開かせるそのいじらしさは、人生の断片にも似て物思いに誘われる◆〈さくらの花のように/万朶(ばんだ)を飾らなくてもいい/梅のようにあの白い五枚の花弁のように/香ぐわしく、きびしく/まなこ見張り/寒夜、なおひらくがいい〉。作家井上靖さんの詩「愛する人に」の一節にある。いつ明けるともしれない冬に震えている人びとを思う◆春は来るのではない。こちらが生きて到達する、そんな実感が年齢とともに強くなる。寒さはやわらぎ、季節は歩を進める。胸弾ませて春の兆しを探してみる。まなこ見張るように。(桑)

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