10月、学生のころだ。夜の新宿は黄色い波で染まった。神宮球場から繰り出したファンが狂喜乱舞していた。阪神が21年ぶりのリーグ優勝を決め、その年は球団初の日本一に上り詰めた◆吉田義男さんが亡くなった。享年91。2度目の監督を務めた1985年、伝説の「バックスクリーン3連発」など破壊力のある打線で頂点に立った。低迷から一転、全国的な猛虎フィーバーはよく覚えている。現役のころ、69年までのプレーは直に存じ上げないが、遊撃の華麗な守備は「牛若丸」と称された◆源義経の幼名である。〈♪京の五条の橋の上~〉。弁慶と対峙(たいじ)した唱歌にある〈前やうしろや右左/ここと思えば/またあちら〉か。戦国武将、政治家、スポーツ選手…。異名を冠される人物はどれほどいるのだろう◆プロ野球のキャンプが始まった直後の訃報。連日、選手の調整具合やチームの新たな布陣などが伝えられ、米大リーグの大谷翔平選手も自主トレを始めた。ファンには待ちに待った季節到来だが、折しも今季最強・最長という寒波。身の回りの警戒はしばらく怠れない◆吉田さんは歓喜の2年後に最下位に転落し、監督を解任された。自著にも残した「天国と地獄」。当時の球団関係者でつくった親睦組織は「天地会」というそうだ。厳寒の「球春」に思う〈冬来たりなば春遠からじ〉である。(松)
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