高校時代に歴史を習った先生の近況報告が、同級生でつくるグループラインに載った。昨年11月、台湾で開かれた「バシー海峡慰霊祭」に住職として参加し、戦没者を供養したという内容だった◆バシー海峡は台湾とフィリピンの間にあり、南シナ海と太平洋を結ぶ交通の要衝。そのため、太平洋戦争では旧日本軍の軍艦や輸送船などが攻撃され、民間人を含め10万人以上が亡くなったとされる◆先生の父親もこの海峡で命を落とした。もしかしたら、わが子を抱くことなく戦地に赴いたのかもしれない。海に散った命の数だけ悲話がある。戦争の深い傷痕に気づく◆今年は戦後80年の節目。多くの犠牲の上に今を生きる私たちは8月の終戦まで、さまざまな歴史に向き合う必要がある。80年前の1945年2月4日、史上最も重要な会談といわれる「ヤルタ会談」がクリミア半島で始まり、ルーズベルト、チャーチル、スターリンの米英ソ3首脳が戦後処理の方針を決めた。今月19日は「硫黄島の戦い」が始まった日だ。1945年は日本が最もつらい経験をした年。それぞれの節目で思いをはせたい◆歴史は韻を踏むという。台湾は中国の武力行使を懸念し、軍事的緊張が高まっている。バシー海峡を二度と「慟哭(どうこく)の海」にしてはいけない。先生の願いを受け止め、戦後80年への思いを新たにする(義)

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