
記憶の断片を呼び起こす “あの頃の佐賀”をのびやかに
小さい頃の記憶があまりない。
母は、よく家族旅行を取り仕切っていた人だった。祖父祖母はじめ、時にいとこ家族などを含めて、毎年のように家族(親族?)旅行が敢行されていた。しかしその特別な日の記憶は、実は私の中にはほとんど残っていない。連れて行きがいがない娘だと、よく母から嘆かれたものだ。
それよりも鮮明に覚えているのは、もっと断片的なことだ。
母がシチューの肉を喉に詰まらせた日のこと。(母は忘れてほしいだろうが)
大雪の日の、深夜の雪かきのこと。
格闘ゲームで姉の威厳を発揮して、弟を泣かせて怒られたこと。
断片とはよく言ったもので、心に刺さった「カケラ」であるそれらは忘れようにも忘れられず、時に鋭く、キラリと光を放つのだ。
メグマイルランドさんの初コミック「棕櫚の木の下で」(しゅろのきのしたで)を読んだとき、それらのカケラたちのきらめきを感じた。
佐賀に暮らす主人公・小学生のソテツくんと、友人のかりんちゃん。勢いのある筆致でのびやかに描かれるのは、決して特別な日のことではない、かつて当たり前に過ごした日常の記録だ。会話は全編通して佐賀弁で交わされ、方言の紡ぎ出すグルーヴがこの漫画を立体的に立ち上がらせ、まるで漫画に取り込まれるような没入感を生み出している。
お互いの家が見える位置にある二人が、窓越しにモールス信号で交信を試みる場面は、本書の中でも特に印象的なエピソードだ。台風の影響で停電になった真っ暗な夜、懐中電灯を明滅させて交わされるやり取りが通じ合った瞬間の、ソテツくんのはじけるような表情がたまらない。
40代の作者が、以前佐賀に住んでいた記憶を頼りに描いた平成初期の小学生時代は、場所は違えど私の見てきた光景にも近い。同世代の方なら、まるでタイムカプセルを開くように、あの頃の記憶が呼び起されるのではないだろうか。
植物や町並み、食卓の様子など、ページの隅々まで描き込まれた“あの頃の佐賀”の風景を、ぜひお楽しみください。

本間悠さん
2023年12月、佐賀駅構内にオープンした「佐賀之書店」の店長。自身が作った売り場や本のポップなどで注目を集め、SNSのフォロワー数は1万人以上。多メディアにおいても幅広く活躍中