おしゃべり好きの主婦がレジ係に 心の隙間を埋めてくれる連作短編集

 書店のレジで「マニュアル」として習ったのは、お客様の顔を覚えないこと、だった。たとえ、毎月決まった商品を購入される常連のお客様でも、レジカウンターではまず名前を伺うこと。間違っても「○○さん、今月もありがとうございます」なんて、こちらからお声がけしないこと。
 「名前を覚えて、名乗らずとも商品を用意した方が効率的だし、お客様にとってもスムーズなのでは…?」。最初はおかしなルールだと思ったけれど、その理由はすぐにわかった。
 「名前を覚えられている」「顔を覚えられている」とわかると、それっきり来てくださらなくなるお客様が、少なからずいらっしゃるからだった。

 SNSの書き込みは、もっと過激で、もっとストレートだ。

「レジで声をかけられた、もうあのお店には行けない、サイアク」
「店員に話しかけられるとウザい」

 コロナ禍以降、一気にセルフレジ化は進んだが、このような声を目にすると、感染症対策のためというよりも、そもそも有人レジを煩わしく感じる人が多かったから、セルフレジ化が進んだのではないかとすら思ってしまう。
 有人レジで、マニュアル化されたやり取りから少しだけ外れた「心が通った瞬間」に、心が浮き立つ私は少数派なのだろうか。居酒屋で、こちらから注文してくださいとQRコードを手渡された時にうら寂しさを感じてしまうのは、私が時代についていけていないからか……。

 そんな私の心のスキマに差し込まれたのが、真下みことさんの新刊『かごいっぱいに詰め込んで』である。長らく専業主婦だった40代の美奈子は心機一転、スーパーの「おしゃべりレジ」で働きはじめる。「おしゃべりレジ」はもちろん有人で、その名の通り「お客様と会話すること」が課されている。

「パックごはんって便利ですよね」
「お野菜でサラダを作ってみるのもおすすめですよ」

 もともと「おしゃべり好き」を自負する美奈子には天職とも呼べるこの仕事。作者の真下さんによると、オランダのスーパーで実際に運用されている世間話専用レジに着想を得たという。2019年に始まったこの取り組みは、コミュニケーションの分断から孤独に陥ってしまう地域の人々をたわいないレジでのやり取りで救っている。
 作品は連作短編集となっており、美奈子がレジを担当した男女4人の話につながってゆく。レジでの「おしゃべり」が彼らの生活にどう影響するのかは、ぜひ本編でお読みいただきたい。最後にはちょっとした「驚き」も用意されており、感情が揺さぶられる読書体験をお約束する。

 バタフライエフェクト※なんて大仰なものではないが、人の機嫌が上向くのも下向くのも、本当にちょっとしたキッカケだったりする。そのキッカケが今、私のレジから生まれるのかもしれないと思ったら、こんなにドラマチックな仕事はないじゃないか……!
 セルフレジ世代の真下さんが描いた物語は、私の毎日を明るく、そしてまぶしく照らしてくれた。

※わずかな事象がさまざまな要因を引き起こし、大きな影響を及ぼす現象

本間悠さん

2023年12月、佐賀駅構内にオープンした「佐賀之書店」の店長。自身が作った売り場や本のポップなどで注目を集め、SNSのフォロワー数は1万人以上。多メディアにおいても幅広く活躍中

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