八坂運輸部と地所・倉庫の様子を紹介した絵はがき(1907~1918年間発行)

 近代の鳥栖地域発展に大きな貢献をした八坂甚八(やさかじんぱち)(1853~1929年)の活動について、これまで畜産業の八坂牧場、金融業の八坂銀行を紹介してきましたが、その他にも地域の物流を担う運輸会社を設立しました。

 甚八が本格的に運送業に取り組んだのは、明治2(1869)年に筑後川を利用した水運のために八坂丸を建造したことに始まります。さらに明治22(1889)年に博多と千歳川仮停車場間に九州鉄道が開業すると、八坂運輸部を設立し鉄道を利用した運送業にも参画していきます。

 各地への鉄道路線開通に伴い、八坂運輸部も業務を拡大していき、門司、博多、久留米、矢部川、大牟田、熊本、鹿児島、武雄、三間坂、浦上、長崎、東京などに支店が開設され、九州各地や北海道、朝鮮半島や満州の主要な駅に100を超える取引店が置かれました。

 運送業者間の競争が激化する中、大正14(1925)年1月に資本金100万円の八坂運輸株式会社へと改められますが、翌15年11月には八坂運輸をはじめとする鳥栖地域の業者によって鳥栖合同運送株式会社が設立されました。

 その後、第2次世界大戦の戦況に伴い輸送の総合的運営を図る政府方針により、昭和17(1942)年11月に日本通運株式会社に合併され、地域の物流を担う業務は引き継がれていきました。(地域リポーター・田中健一=鳥栖市儀徳町)