佐賀空港建設時の経緯を話す井本勇前知事

 防衛省が突然打ち出した佐賀空港への自衛隊オスプレイ配備計画をめぐり、空港建設時に佐賀県が地元漁協と結んだ公害防止協定がクローズアップされている。副知事兼空港建設対策室長として地元交渉に関わり、知事時代は着工から開港まで見届けてきた井本勇前知事(88)は佐賀新聞のインタビューに応じ、「佐賀空港は自衛隊との共用を想定して造ったわけではない」と、今回の事態は「想定外」との認識を強調した。県に対し「3代の知事が30年かけて実現した空港。転換するならそれ相当の議論が必要だ」と慎重な対応を求めている。

 -今回の配備計画をどう受け止めたか。

 井本 びっくりした。こんな事があるのかという気持ちだ。池田、香月、井本という3代の知事が、30年かけてつくり上げた空港。空の時代を迎え、アジアに開かれた空港をつくろうと努力した。今、計画が出ているような目的のためにつくったわけではない。

 -今回の提案は、内容もあいまいな部分が多く、戸惑いが広がっている。

 井本 言葉が悪いかもしれないが、副大臣が突然来て言うような話ではない。本来なら大臣が来て、県民、知事にもっと丁寧に説明すべきではないか。佐賀が軽く見られているのではないか。

 -自衛隊との共用を否定した文言がある、漁協との協定が焦点になっている。当時、自衛隊が来る可能性は想定にあったのか。

 井本 想定は全くない。考えてもいなかったし、まさにあり得ないことだ。空港が赤字なら身売りするのではという声もあったようだが、そもそも空港の赤字と自衛隊の基地化は全く別の次元の話だ。

 -当時の責任者として、今後、県にはどんな対応を望むか。

 井本 開港まで30年、本当にいろんなことがあり、先人たちの努力で挫折を乗り越え、開港まで結びつけた。オスプレイ配備問題は、当時と同じぐらい重い課題だ。開港に関わった私の思いは「そんなバカなことがあんもんか」という気持ちが強いが、時代が変わり、人も代わり、時流というものもあるだろう。賛成とか反対とかは言えない。自衛隊の利用だけでなく、最終的には米軍利用の可能性もあるだけに、30年とはいわないまでも、それぐらいの重い議論があってしかるべきだ。ただ、バルーンは佐賀の秋の風物詩。佐賀空港が開港する際も、空域を分けることで存続できた。平和のシンボルとして残してほしいという思いは強い。

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