佐賀県が関係漁協と結んだ公害防止協定の写し。自衛隊と共用する考えはないと明記している

 自衛隊の新型輸送機オスプレイを佐賀空港に配備する計画で、空港の軍民共用化は、佐賀県が建設時に地元漁協(当時)と交わした公害防止協定の取り扱いが一つの焦点になっている。当時、「自衛隊との共用はあり得ない」として、強硬に反対する漁業者との交渉にあたり、協定をまとめた元県幹部の話を基に、締結の経緯や背景をまとめた。

 佐賀空港は1969年1月、当時の池田直知事が建設を表明した。地元漁業者の反対で73年8月にいったん計画を撤回。その後、77年12月に長期総合計画で建設方針を再度打ち出したものの、81年8月に建設推進を目指した川副町議会が地元漁協の反発で流会となるなど、2度にわたって計画が頓挫した経緯がある。

 「当時、有明海では水銀騒動が起きるなど水質環境に対する漁業者の不安は大きかった。さらに筑後大堰(ぜき)や南部総合開発(現在の諫早湾干拓事業)、六角川河口堰問題など、有明海に影響を与える公共事業に対し、漁業者の間には自分たちの意見を聞かず、行政が一方的に事業を進めているという思いがあった」

 79年4月から90年3月の協定締結まで11年にわたり空港建設対策室に勤務し、地元交渉にあたった元県議の楢崎近さん(77)は、反発の背景に「根強い行政不信」があったと指摘する。そのため、協議の中では事あるごとに「一筆入れる」という慣習があり、建設にあたっても「協定締結は必要で、当たり前のことだった」と話す。

 協定を結ぶ上で、議論となったのは「環境」と「自衛隊基地」問題だった。ノリ養殖漁場は、空港建設予定地の目の前。「特に空港からの排水に対する不安が強かった」という。そのため、協定には、排水の油水分離やPH(水素イオン濃度)、COD(化学的酸素要求量)など細かい基準を盛り込んだ。

 自衛隊に関しても「赤字になったら身売りして基地になるのではないか」という懸念が上がっていた。楢崎さんは当時の県のスタンスについて「しない、させない、あり得ないだった」と強調する。「当時の香月熊雄知事も井本勇副知事も、ことあるごとに自衛隊との共用は否定していた」と振り返る。

 協定では、覚書付属資料の中に自衛隊と共用しない考えを明記している。当時、担当課長として文面を作成した楢崎さんは「協定本体には、施設や運営変更の際の事前協議を盛り込み、滑走路延長や用途変更など具体的な協議対象事項は覚書に規定した」と説明する。その上で「自衛隊と共用しないという考えは、県が繰り返し明言してきたことなので、質疑応答の形でまとめた付属資料の中で明文化することになった」と経緯を語った。

 今回、協定が焦点となっていることについては「当時は自衛隊との共用はまったく考えてなかった」と明言し、「佐賀空港はいろいろな経緯があって完成した空港。自衛隊との共用は、政府は、県営ではなく、まずは国が管理する空港から検討すべき」と主張する。

 ■公害防止協定の自衛隊に関する記述 佐賀県が地元の関係漁協(当時)と結んだ協定の覚書付属書の中に、質疑応答形式で記載されている。「覚書に『自衛隊と共用はしない』旨を明記されたい」との漁協の要請に対し、県の考えとして「県は佐賀空港を自衛隊と共用するような考えはもっていない。また、このことは協定第3条の『空港の運営変更』にもなることであり、当然に『事前協議』の対象になるものであると考える」と明記している。古川康知事は7月の会見で、この付属書の記述について、事前協議の記載に触れ、「(自衛隊との共用を)まったく想定をせずにそういうことはありませんとだけ文書に書いてあるわけではないと思う」との認識を示している。

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