昨年1月、僕は大好きだった祖父との別れを経験した。祖父は寡黙な人だったが、いつも優しい眼差(まなざ)しで僕を可愛(かわ)いがってくれた。そんな祖父との突然の別れという現実を受け止められずにいたとき、納棺前の「湯灌(ゆかん)」という儀式に立ち会った。納棺師のサポートのもと、家族みんなで祖父を湯船に浸(つ)からせ、体をきれいにしていると、心臓が止まり呼吸もしていないのに祖父の表情が心地良さそうに見えてくるという不思議な感覚を味わった。この時間が、僕にとって祖父の死を穏やかに受け入れていられる気持ちを作ってくれた。テキパキと準備を整えながらも、私たち遺族と一緒に祖父を偲(しの)ぶ語りかけをされる納棺師の方の姿が強い印象として脳裏に焼き付いた。そのことが今回「復元納棺師」が作者であるこの本を手にするきっかけになった。

 この本は、大きな損傷を受けた遺体を生前の姿に戻す「復元納棺師」である笹原留似子さんが、東日本大震災でボランティアとして300体以上のご遺体を復元した際にスケッチブックに描いた絵と綴(つづ)った言葉をもとにしたものだ。東日本大震災は、僕がまだ1歳のときに起こったが、叔母家族が宮城で被災したこともあり、僕の家では小さな頃からこの震災が身近な話題として出てきていた。また、震災後に何度か被災地を訪れ、震災の爪痕が残る地域や遺構を目の当たりにしたり、震災に関する本や映像を見たりする機会も多かったので、僕は「分かったつもり」になっていた。けれど、この本と出会い、ページをめくる度に、あの震災で失われた命の一つ一つにはかり知れない悲しみがあったことを感じさせられた。

 笹原さんが被災地の安置所に入って初めて出会った遺体は3歳の女子だった。身元不明のために両親の許可を得られず復元できなかったときの「何もしてあげられなかった」という思いが、一人でも多くの遺体を家族と再会させたいという強い気持ちに繋(つな)がっていることが読み進めるにつれひしひしと伝わってきた。遺体の損傷が激しく、「お父さんじゃない」と言った息子が、復元後の父親の遺体に沢山(たくさん)話しかけていたというエピソードや、朝けんかして家を出たのが母との最後の別れになったというエピソード。その他にも生後10日の赤ちゃんや6歳のいたずらっ子、反抗期の中学生、漬物の達人だったおばあちゃんなど、笹原さんが復元した沢山のご遺体やご遺族へ向けた温かく優しい言葉が綴られている。会ったことのない故人やご遺族の方々が僕の周りの人たちに重なり、言葉にならない気持ちに胸をぎゅっと締め付けられた。1万数千人といわれるこの震災による「死者数」の裏には、その数だけの深い悲しみがあり、その数だけの日常があったということに改めて気付かされた。損傷の激しい身内の遺体との対面は、大切な人を失った悲しみに加えて、想像を絶する恐怖とショックで立ち直れない状況に見舞われることが想像できる。しかし笹原さんの「おもかげ復元」によって、生前の故人を偲びながらお別れをし、心から悲しむことができるようにすることが、ご遺族の方々が「深い悲しみ」を「前に進む力」「生きていく力」に変えることに繋がっていてほしい…と祈るような気持ちになる。誰もが目を背けたくなるはずの腐敗や損傷の激しい遺体と正面から向き合い、冷たくなった身体に触れ、その人の人生、そしてご遺族の方々の思いに耳を傾け、ただまっすぐな姿勢で「復元納棺師」としての仕事をやり遂げる笹原さんの姿が、一人一人のおもかげに目を向けて綴られた本の言葉から僕の頭の中に浮かび、その仕事の尊さ、そして笹原さんの強さに胸がいっぱいになった。そして、祖父との別れを思い出し、納棺師の方のサポートを受けて、綺き麗れいな顔の祖父と向き合ったあの時間が、本当にかけがえのない幸せでありがたい時間だったことにも気づかされた。

 新年早々、北陸での大きな地震や航空機の衝突事故により、多くのかけがえのない命が失われるという悲しいニュースが飛び込んできた。良い人にも悪い人にも、頑張っている人にもそうでない人にも…どんな人にも必ず死は平等に訪れる。その訪れ方は一人一人違うし、それがいつなのか誰も分からない。死はいつも生と隣り合わせなのだと、笹原さんが綴った言葉からも、ここ数日のニュースからも感じずにはいられない。しかし、笹原さんが描いた穏やかな表情で目を閉じる人々の顔や優しさあふれる言葉と出会い、僕は「一日一日を大切に生きたい」「家族や仲間を大切にしたい」と強く思うようになった。笹原さんは復元納棺師として「生」にも「死」にも心から向き合い、肉体の復元だけでなく、遺のこされた人たちの「悲しみ」を「生きていく勇気」に復元するという役割も担われているのだと思う。「生」は決して当たり前のことではないことを胸に刻み、自他の「生」を尊重し、向き合える人になりたいと思う。