更生保護施設「清風寮」が1959(昭和34)年に開所し、罪を犯し、肉親からも見放された人々を収容保護する「改過遷善」の取り組みをスタートさせて10年の歳月が流れた頃、寮の維持運営は諸物価高騰などの影響に見舞われた。
更生保護には精神的な支えが欠かせないが、食事の充実、娯楽や慰安施設の拡充など物心両面からの支援でその効果が倍加することは周知の通りである。寮の維持運営のために清風寮後援会を結成するなど種々の方策を講じて運転資金の確保に努力を重ねたが、当時のまま推移すれば清風寮設立の趣旨を生かすことが困難な状況にあった。
しかし、困難だから放置することは、時代の要求と社会の期待に反することになる。あらゆる困難を排除し被保護者に充実した物心両面からの支援を重ねていくことが、更生保護の願いであるとの考えに至った。
そんな中、天皇御下賜金を清風寮が賜ることになり、協議のうえ御下賜金を基に観世音菩薩像を購入することが決まった。制作を現・武雄市山内町の陶工樋渡登六師に依頼した。やがて出来上がった高さ40センチ白磁作りの観音様は、大島英一氏寄贈の自然石台座に安置された。慈愛あふれる姿で立つ観音様の伏し目がちで優しいまなざしは、入所者たちをいつも見守り続けた。(地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)