有田町の内山地区は江戸時代初期、朝鮮人陶工の李参平が泉山で陶石を発見したのを機に町がつくられ、磁器生産の中心地となった。谷間に細長く家々が連なり、「有田千軒」と呼ばれるほどに繁栄したが、大火事でほとんどを焼失したことがある。
1828(文政11)年、佐賀を巨大な台風が襲った。「子年(ねのとし)の大風」「シーボルト台風」と呼ばれ、最大風速は推定55メートル前後。強風や高潮で各地に大きな被害をもたらし、有田では窯が吹き飛ばされて火事になった。観光ガイドの岩崎数馬さん(73)は「藁(わら)やかやぶきの家ばかりで、一気に燃え広がった」と説明する。
記録によると、この大火事で内山地区の千軒のうち850軒余りが燃えたという。地区の西側から上がった火の手は谷間に沿って東へ移り、約2キロ先のイチョウの木にも届いたが、根元近くにある民家は難を免れた。「イチョウが火を嫌って風を起こし、家を守ったとの言い伝えがある」と岩崎さん。イチョウの木は水分を多く含んで燃えにくいという。
大火事の後、内山地区は佐賀藩の支援もあってすぐに復興した。再建する建物には外壁に漆喰(しっくい)を塗るなど防火対策を施し、それが町並みの特徴となって今に続く。一帯は1991(平成3)年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
イチョウの木は1926(大正15)年に国の天然記念物に指定され、「有田の大イチョウ」と呼ばれて町のシンボルとなっている。高さ30・5メートルで大きさは国内有数。秋になると鮮やかに黄葉(こうよう)し、多くの見物客を集める。樹齢千年を超えるといわれるイチョウと岩崎さんら観光ガイドが、町の歴史を教えてくれる。(青木宏文)