吉野ケ里遺跡で『魏志倭人伝』に登場する邪馬台国を思わせる大環濠集落発見、と報じられて34年。邪馬台国時代の石棺墓(せっかんぼ)の内部を調査すると佐賀県が発表し、全国から再び注目を集めた。14日までの発掘調査では「世紀の発見」はなかったものの、吉野ケ里の存在感を改めて示した。
14日昼過ぎに緊急会見した山口祥義知事は「副葬品がなかったのが極めて残念」と悔しがった。ただ、かつての「吉野ケ里フィーバー」を想像させるほどの報道陣が詰めかけ、インターネットでも話題になった。「見たい方がたくさんいる」。発掘現場の担当者とオンラインで結んだ会見で、急きょ24、25日に一般公開することが決まった。
長年続く邪馬台国の所在地論争を決定づけるものが出るのではないかという期待感から、多くの考古学ファンが注目した。「×」のような線刻が多数確認された石ぶた、横幅が36センチと比較的狭い棺、棺内に広く塗られた赤色顔料など、卑弥呼のような女性シャーマンの埋葬を想像させるような発掘成果も耳目を集めた。県文化財課保護・活用室の白木原宜室長が「緊張感の中で発掘してきた。今回の調査で論争に終止符を打つことはない」と現場説明会でくぎを刺すほどだった。
福岡大名誉教授の武末純一さん(考古学)は「鏡や刀などの副葬品が見つかっていないことの意味、全体の中の位置づけをしっかり考えてほしい。近隣の調査結果と比較分析しながら」と今後の調査、分析のポイントを指摘する。
長年、調査を担当してきた七田忠昭佐賀城本丸歴史館館長は「現段階では(被葬者は)宗教的な有力者と考えられる。石棺墓周辺を調べれば、他者から隔絶する溝など階層を考えるヒントが出てくるかも。まだ4割は掘られていない」。9月に再開する未発掘エリア調査への期待を口にする。
また棺内の土や赤色顔料の成分分析などで、被葬者の階層や副葬品を類推できる情報が得られる可能性もある。県は慎重に調査を進める方針だ。(大田浩司)