多くの名刀を生み出した佐賀藩の刀鍛冶「肥前忠吉(ただよし)」。肥前には、刀身のほか、装飾など刀作りを支える職人が多くいた。しかし、1876(明治9)年の廃刀令以降、一部を除き帯刀が禁じられることで影響を受ける。その後、軍刀の需要が高まるも、連合国軍総司令部(GHQ)による接収などにより、再び作刀技術の存続危機を迎える。

 県立博物館で開かれている展覧会では、伝統を守り続ける職人、それを生かす人たちにスポットを当てる。廃棄を免れた接収刀剣などを展示する。

 江戸時代から明治初期の廃業まで9代続いた忠吉一門。切れ味で4階級に分けて評価した番付では、上位12人しか選ばれない「最上大業物(さいじょうおおわざもの)」に初代と3代忠吉が入るほど、高い技術が受け継がれた。