4月下旬、日展作家で唐津焼を手がける三輪廉浩さん(54)は25年ほど前に修業した中里文子さん(89)の「あや窯」で窯焚きに向けた準備に励んでいた。昨年の春から夏前にかけて体調を崩し、久々の作陶だが「なんだかんだ言って手は覚えている」と笑みを浮かべる。
宮崎県都農町出身。高鍋高校から「ものを作ること、絵を描くことが好きだった」と東京造形大学に進んだ。建築や都市計画などデザイン全般を学び、東京都内の設計事務所に就職。「建築は分業制。自分の手でものが作りたかった」と2年ほど勤め、工芸の世界を目指した。
数ある道の中で、唐津焼を選んだ理由は「豊富な釉薬の種類」と「木や石と違って土にある粘りの素材」に加え、「色の付け方で作風が変わるから。表現の自由さは唐津が一番豊かだと思った」。知人の紹介で、1994年から中里さんの下で5年間修業した。土作り、薪(まき)割り、釉薬作り-。「若いころは我が強くて。生意気な弟子だったと思う」
99年、土に新しい命を与えるとの意味を込め、唐津市に陶工房「土のいぶき」を構えた。日展会友、日本新工芸家連盟会員で、これまで日展や日本新工芸展などで数々の入選歴を誇る。「常に技術の向上を目指している。唐津という枠に入るのではなく、唐津の技法を使っていろんなことをしたいと思っている」と作陶の心構えを語る。
公募展に出品するのは全て朝鮮唐津。焼成温度が高く、「かたちのバランスが悪かったら途中で崩れる。難易度が高いからこそ技術の向上につながる」。「動き」「流れ」をテーマに、左右対称性に変化を加えることで生まれる面白さ、美しさを追求してきた。
木や稲わら、長石などを原料とする釉薬作りにもこだわりがある。佐志にあるガス窯の周りはミカン畑が広がる。春の剪定(せんてい)で出るくずを燃やした「ミカン灰」は作品に淡い緑を加え、調合比を変えることで生まれる色の変化を楽しむ。
5年ほど前、師匠の中里さんは高齢を理由に窯を閉じようとした。「先生の絵はまねしようと思っても描けない。『手伝いますから、先生、続けましょう』と言ったんです」。それ以来、あや窯の作品を手伝いつつ、自らの作品づくりにも励む。「弟子時代は自由にさせてもらった。今は恩返しです」
趣味の料理でも、「献立を考える=お皿を考える」という発想が使いやすい器のアイデアにつながっているという。ここ数年は「シンプル・モダン」をテーマに洗練された美しさをフォルムで表現している。秋には日展に向けた作陶を控える。「自分のため、そしてお客さんのためにも、90歳まであと35年は頑張りたい」と鍛錬を続ける。(松岡蒼大)
取材メモ
三輪さんがろくろを回して作った器に、中里さんが絵付けをする。修業時代から30年余りがたっても、同じ空間で唐津焼と向き合う姿に深い絆を感じた。