人も生き物も評価で固定しない。お互い自由で無事な関係

 卯月(うづき)の花々が咲き継がれ、結実へと向かい、生き物の子どもたちが続々と湧き出る。田んぼには蛙(かえる)のかわいいのがちょろちょろとし、毛虫が一所懸命に道路を横切っている。

 春になると思い出すことがある。随分と昔だが、村に移住した若い人を泊めた。楽しい夜の食卓を過ごして朝が明け、養鶏の仕事を終えても、彼は起きず、ずいぶん寝坊して言った。「朝は弱いんです」。僕は彼をダメな奴だと思った。

 数年が経ち、地域で大きなイベントをした時、彼は見違えるほどの役割を果たしてくれた。うれしかったし、心から感謝を伝えた。同時に、自分の至らなさを思い知った。人への評価・ジャッジ・レッテル貼りとは何かを。

 寝食を共にしたのだから農家の手伝いぐらいはするだろうという、その人への期待というものは、自分の欲から来ている。期待が裏切られた、すなわち、自分の欲が満たされないと怒りとなる。忘れないようにレッテルを貼る。

 しかしすべては変化するということだ。人も刻々と変わり、気づきと経験で成長していく。人をジャッジして自分の牢屋(ろうや)に入れるとは、人を許さないということだ。そしてそれは多分に自分をも許さないことに通じるのだ。

(養鶏農家・カフェ店主 小野寺睦)