鳥栖市の南東部、宝満川沿いの集落である安楽寺町は「高田」「安楽寺」と現在は並び呼ばれますが、江戸時代は真木町の枝村でした。江戸時代の地図には「親村真木村ヨリ方角己ニ当ル道法十七町十間」とあり、方角は南南東で、およそ2キロ離れていると記されています。
「安楽寺」という、とてもありがたい地名ですが、これは大宰府に左遷され、亡くなった菅原道真公の菩提(ぼだい)寺の名前です。道真公が亡くなられた後、京都では不幸な出来事が続き、公のたたりと恐れられました。安楽寺を守護するため神社が建てられ、「天満大自在天神」と最高の神位が贈られ、絶大な権威を得ました。
10世紀以降、そういう社寺に土地を寄進すると、税金を取る行政の干渉を逃れられる荘園制の時代となり、安楽寺にもたくさんの土地が寄進されます。そうするとそこには同じ系統の社寺が勧請されます。ここにも安楽寺天満宮が勧請され、地名となったと考えられます。(平凡社『日本歴史地名大系42』「佐賀県」など参考)
(鳥栖郷土研究会会長・藤瀬禎博)