古代から中世の頃まで山本は松浦潟の最奥部にあたり、上松浦党の軍船基地のひとつでした。戦国末期には岸岳城の脇城・青山城が築かれ、今も石垣などの遺構が残されています。 1898(明治31)年に唐津線の前身・唐津興業鉄道の妙見-山本、翌年に山本-厳木が、1912年には岸嶽支線が開通しました。