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新・吉野ケ里学【下】吉野ケ里と戦争
水稲栽培と定住が進んだ弥生時代。稲作に使う土地と水をめぐる争いは、集団内の秩序を形成しながら、集落・地域間の戦いへと拡大し、やがて初期国家とも言うべき地域のまとまりが出来上がっていった。「新・吉野ケ里学PartⅡ」第3弾は、日本で本格的な戦争が始まった時代と背景を、壕と柵を巡らせた「城砦(じょうさい)都市」吉野ケ里に探る。
土地と水求め 周辺地域へ勢力拡大

稲作を始めて200~300年たったころ、弥生時代の中期になると、鉄器や青銅器が本格的に広まって、人々の生活はまた大きく変わりました。吉野ケ里のムラも大きくなっていきました。さて、いったい何が起きたのでしょうか。

もっと米が欲しいから

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 このころの墓地を発掘すると、剣の先や矢じりが刺さった人骨がみつかるようになります。朝鮮半島から銅剣や銅矛などの武器も伝わってきています。どうやら戦争が始まったようです。それまでの日本列島には、人間を傷つけるための道具はありませんでした。弓矢は動物を捕るための狩りの道具でした。それがこのころから、人間に向かってうつ武器として使われるようになりました。敵が攻めてこないように、壕や土塁をめぐらせるムラが増えてきました。吉野ケ里も、深い壕と土塁、柵で厳重に守りをかためています。

 いったい、なぜ人々は争うようになったのでしょうか。

 弥生時代に始まったお米作りは、どんどん広まっていきました。お米は保存ができるので、たくさん作っておけば安心だし、みんなが欲しがるものだから、別の品物と交換していろいろなものを手に入れることもできます。だから、もっともっとお米を作りたい。だけど、田んぼでお米を作るには、田んぼに水をためることが必要です。条件のよい場所は、もう田んぼを作ってしまっています。それでも、もっとお米が欲しい。

 そうなると、いままであまり条件がよくなくて、田んぼにしていない土地を頑張って切り開かねばなりませんね。土が田んぼに適した場所や、小川から水を引きやすい場所がいいですね。少しでもいい場所をとろうと、土地や水の奪い合いが始まります。誰かの田んぼを奪ってしまおうという乱暴な人もいたかもしれません。

 また、新たに田んぼを作っても、そこで働く人がいなければ、お米を作ることができません。だから、働く人として人間を奪ってくる、ということもあったと思います。

 いままで誰のものでもなかったはずの土地や水、人間までもが、奪いあいの原因になり、争いをまきおこしたと考えられます。
 

弱いムラ従え王が誕生

 鉄器や青銅器も広まっていきました。青銅器は、銅剣・銅矛・銅戈(どうか)という武器が中心で、最初の頃は戦いの武器として使われましたが、だんだん武器の形が崩れていき、有力者のしるしとか儀式やマツリなどで使う宝物のような品物になっていきました。だから、青銅器は、人々の毎日の仕事にはあまり関係のないものでした。

 それに対して、鉄器には農具や工具があります。鉄が広まり、木製農具の先に鉄の刃がついたり、木を伐採する鉄の斧(おの)や板を削る鉄の工具が登場して、人々の仕事はうんと楽になりました。鉄の刃のついた鍬(くわ)や鋤(すき)なら、堅い地面でも耕すことができます。石の斧で四時間かかった木の伐採の仕事が、鉄の斧を使うと一時間で片付きます。「これは便利だ!」と、誰もが思ったことでしょう。

 だから、鉄の道具は、有力者だけではなく、みんなが欲しがります。でも、鉄の原材料は朝鮮半島から輸入しなくてはなりません。その原材料を加工して道具を作る仕事は、誰でもできることではなく、その技術を学んだ人たちしかできません。

 そうなると、朝鮮半島から鉄器や鉄の原材料を輸入するつながりをもつ人々やムラがだんだん力をもってきます。反対に、石器作りによって栄えていたムラは時代遅れとなり、だんだん衰えていきます。

 強いムラが弱いムラを従えていき、だんだん地域がひとつにまとまっていきます。そういうまとまりを「クニ」と呼んでいます。吉野ケ里は、佐賀平野の東部に誕生したクニの中心になるムラでした。

 戦争が始まりだしてしばらくすると、クニの中心になるようなムラには、特別に豪華な品物をおさめた墓があらわれます。クニの王さまの墓ですね。北部九州では、甕棺(かめかん)という大きな土器を棺として使う独特の風習があります。王と思われる人の甕棺には、中国の鏡、銅剣などの武器類や玉類など、貴重品を独り占めしたように、たくさん納められています。吉野ケ里では、一人の王さまではなくて複数の有力者達を葬った墳丘墓があります。土を盛り上げて作った大きな墓(墳丘墓)に、複数の甕棺が葬られており、棺のなかに銅剣やガラスの管玉など、一般の人々がもたないような品物が納められていました。

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 墳丘墓には、壕の外からもおまいりができるように、壕のところに通路をつくり、墳丘墓まで道が続いていました。きっとあの墳丘墓は、吉野ケ里とその周辺の人々の心のよりどころとして、長く大切におまいりをしたのだと思います。

 

ルール決め小規模に

 こうして、強くなっていくムラ、衰えていくムラがでてきます。力をもつ人々、弱い立場においこまれた人々がでてきます。「あそこのムラの人々を奪って、働かせよう」と、弱いムラを攻撃したり、「なんとかせねば」と強いムラに戦いを挑んだムラもあったでしょう。

 けれども、いまのところ何百人もの戦死者がみつかったり、ムラ全体を焼き討ちにしたような遺跡は、みつかっていません。歴史の記録や世界各地の民族例をみても、大勢の人を殺したり、ムラごと焼いたりするような戦争は、ずっと後の時代になってからです。古代の人々は、たとえば農業が忙しい時には戦争はしないとか、一般の人達をまきこまないような場所で戦うとか、あるいは誰か1人でも死者がでたら勝負は終わりなど、ルールを決めて戦っていたと思われます。

イラスト
 吉野ケ里から2000年近くがたちますが、いまなお地球のあちこちで戦争がおきています。弥生人たちが知ったらビックリするような大規模な戦争です。「もう戦争なんて、やめなさい」と、弥生人たちが言ってる気がします。
 さて、こうした戦乱の世は、弥生時代の終わりまで続きます。そして、いまから1700年ほど前、奈良県に前方後円墳という新しい有力者の墓が登場して、古墳時代が始まると、吉野ケ里で暮らしていた人々は、どこかに引っ越しをしたようです。たぶん佐賀平野のどこかで新しい暮らしを始めたのだと思います。そして、吉野ケ里の人々の遺伝子は、みなさんのなかに受け継がれているはずです。みなさんの祖先の築いた吉野ケ里ムラを、どうぞ大切にしてください。
筆者紹介  
早川和子

絵・早川 和子
 (はやかわ かずこ)

 イラストレーター。日本の古代史をテーマとした復元画、イラストは学術的な評価も高い。京都府在住。1953年生まれ。
佐古和枝

文・佐古 和枝
 (さこ かずえ)

 関西外国語大教授(考古学)。研究室を飛び出し、遺跡の保存運動、市民講座・イベントを企画するなど、フィールドは広い。京都府在住。1957年まれ。
 『吉野ケ里 繁栄した弥生都市』(草思社)、『考古学はたのしい』(小学館、全3巻)など、子ども向けの古代史ガイドブックでも定評のおふたり。文章とイラストが合うよう、何度もやり取りをしてもらった。「吉野ケ里の素晴らしさが伝わったかな」。

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