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◆わずかな罰、募る無念
「あなたも、検察も、裁判所も、わたしは許すことはできないし納得もしていない。一生かけて、あなたなりの供養をしてください」。24日午前。判決言い渡し後の佐賀地裁の廊下で、交通事故で亡くなった寺崎令(りょう)さん=神埼郡吉野ケ里町、当時(17)=の父秀典さん(46)は、謝罪にきた被告の男性(44)に、精いっぱいの言葉を絞り出した。
禁錮1年2月、執行猶予5年-。「有罪判決」を墓前に報告した秀典さんは「令は『ありがとう』って言ってくれたような気がした」と、少し柔らかな表情を浮かべた。事故から4年3カ月余り。「判決を境に、前向きに生きていこう」と気持ちをつくってきた。しかし、「わずかな刑事罰の意味って何やろね」。自問が口をついた。あらためて無念さがこみ上げた。
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2007年7月19日。普段と変わらない朝だった。「はよ起きらんか」。秀典さんの声で、ランニング姿の令さんが部屋から出てきた。「ちゃんと飯食うて行けよ」。そう言い残し、秀典さんは勤め先の吉野ケ里町社会福祉協議会へと向かった。
令さんは自転車で20分ほどの神埼清明高校に登校した。明るく、周囲を引っ張る性格で生徒会長を務めた。全国屈指の新体操部に所属。補欠だったが、主将と選手をつなぐまとめ役で、部活でも学校でもムードメーカーだった。
佐賀総体開幕を9日後に控えていた令さんは、神埼市に集う全国の選手のため、生徒会の仲間と記念品を作っていた。作業が終わったのは午後7時すぎ。部活の監督に「そろそろ帰ります」と伝え、自転車で学校を出た。
同7時50分、国道385号の交差点に差し掛かる。日没から間もなく、辺りは薄暗い。行き交う車は、ライトをつけていた。
同じ時刻、佐賀市諸富町の男性は、吉野ケ里町の病院に寄り、家路を急いでいた。制限速度は50キロ。スピードは、それを上回っていた。
一瞬だった。車にブレーキをかけた跡はなかった。自転車はひしゃげ、体は50メートル近く飛ばされた。あとちょっとで、道路を渡り切っていた。
事故の連絡を受け、秀典さんは、搬送先の佐賀市の病院へ急いだ。「命だけは」。令さんの手を握ろうと近寄ると、右腕がなかった。事故の衝撃で、ちぎれていた。秀典さんたち家族は流れ出る血をぬぐいながら、「頑張れ、頑張れ」と叫び続けた。
懸命に救命措置をする医師から「家族を集めてください」と告げられた。翌20日午前1時半、令さんは帰らぬ人となった。18歳の誕生日まで、あと1カ月だった。
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加害者が不起訴から一転、起訴される経過をたどった寺崎令さんの事故。裁判に至るまでには、令さんが“遺(のこ)したもの”に応えようとする父秀典さんの懸命な闘いがあった。誰の身の上にも起こり得る交通死亡事故の現実を5回にわたり伝える。
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【写真】判決後、令さんの墓前に報告する父親の寺﨑秀典さん=10月24日午前、神埼市



















