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唐津舞台の映画「花筐」 “幻”が形に40年来の思い

2016年07月28日 14時56分

制作発表会で「花筐」への思いを語る大林宣彦監督(左)。中央は原作者・檀一雄の長男の檀太郎さん、右は主要な役を演じる俳優の満島真之介さん=唐津市の大手口センタービル
制作発表会で「花筐」への思いを語る大林宣彦監督(左)。中央は原作者・檀一雄の長男の檀太郎さん、右は主要な役を演じる俳優の満島真之介さん=唐津市の大手口センタービル
大林宣彦監督らが見守る中、演技に挑戦する小学生(右手前)
大林宣彦監督らが見守る中、演技に挑戦する小学生(右手前)
唐津舞台の映画「花筐」 “幻”が形に40年来の思い

 8月25日にクランクインする唐津を舞台にした映画「花筐(はなかたみ)」の制作記者発表会が22日、唐津市で開かれた。原作は檀一雄(1912-76年)の同名の純文学短編小説で、戦前の若者たちの群像劇。40年前にシナリオまでできていた“幻の映画”でもあり、大林宣彦監督と原作者の長男の檀太郎さんが語るこの作品にかける40年来の思いをまとめた。

■原作の魂今の時代こそ 大林宣彦監督

 僕の劇場用、商業用映画の第1作として、40年前に「花筐」のシナリオを作っていた。原作の檀一雄さんにもお会いして、「どこで撮影すれば」とうかがうと、「唐津に行ってごらんなさい」と言われた。その後、この映画の企画はいったん頓挫する。

 文学少年として原作にほれ込んでいた。肺結核で亡くなる美那の遺書に書かれた言葉がとても美しい。花筐を映画にできなくても、ずっとこの作品への思いがあり、私の「女ざかり」(1994年)という映画には主人公がこの遺言を朗読しているシーンがある。あるいは私の映画に本棚が出ると、必ずその本棚に花筐の初版本を置いている。そういう形でこれまで来た。

 40年前に映画にならなかった理由が今はよく分かる。当時、日本は経済成長の真っ最中でうかれていた。あの時代にはこの原作が持っている本当の魂は描けなかった。

 花筐が書かれたのは日中戦争の直前。未来を戦争に奉仕させられる子どもたちが、せめて自分の命ぐらいは自由に自分らしく、という切実な願いが、40年たった今、この日本でひしひしと感じられる。まさに今こそ、作られる映画。そういう視点で今回、あらためて書き直した。

 そして唐津でどう撮るかと迷いがある中で、唐津くんちとの出会いが大きく後押ししてくれた。40年前にはくんちは出てこなかったが、新たなシナリオにはくんちが持っている凛(りん)とした気風、魂が物語全体を後ろから支えている。

 最後に、いままで「花かたみ」としていたが、原作通りに「花筐」にした。筐はかごという意味。ビジネスで考えると、題名は読めなくてはいけない。私の映画をプロデュースしている妻恭子が「美しい日本の言葉を後世に伝えることも映画文化の仕事。いい映画になれば、みんな読めるようになる」と。わがパートナーのこれは至言だと思う。

■唐津抜きに考えられない 原作者の長男・檀太郎さん

 大林監督とは40数年の付き合いで、一緒にテレビCMを作っていた。そのころ、監督が「一緒に映画を」と声をかけてきた。「花筐」は父が10代の後半に構想を練った作品。撮影場所を探して監督と唐津へ向かった。

 なぜ唐津なのか。僕なりに考えた。父は福岡高校2年のとき、学校で仲間と赤旗を振り、1年間の停学処分になっている。その間、旅行で唐津に長く滞在した。その時、恋をするとか、切ない思いもしたのではないか。そして数年後に「花筐」が生まれた。

 僕は父と唐津に何回も来て、僕の人生から唐津は切り離して考えられない。

 花筐は花のかご。花というのは夢のこと。父の辞世の句でも花を歌い、父は最後まで花を意識して人生を送っていた。

 40年前に監督と始めたことが実現する。今回はちょっとひいた形で見守るが、花に会えるように皆さんでいい映画を作ってください。

■エキストラに市民600人 子役はオーディションも

 市民とともに作る古里映画「花筐」は、学友や兵隊など600人のエキストラを予定する。このうち主人公たちの小学生時代の役はオーディションで選ばれ、24日、唐津市の大手口センタービルで審査が行われた。

 6人の枠に男女24人が応募した。大林宣彦監督や大林恭子プロデューサーが見守る中、「お母さんから映画に出たらいい経験になるよと勧められて」などと志望動機を語り、助監督を相手に、悪口を我慢して最後は感情を爆発させるという難しい演技に挑戦していた。

■相知出身モデル熱意で役つかむ 原雄次郎さん

 唐津市相知町平山出身で、東京でモデルなどの仕事をしている原雄次郎さん(24)は「花筐」で俳優としての一歩を踏み出す。

 原さんの役は女子学生あきね(山崎紘菜)の兄。舞台経験はあるが映像は初めてで、唐津での花筐制作の話を知り、4カ月前、大林宣彦監督に手紙で直談判。キャストに選ばれた。

 相知小、中から多久高、九州産業大に進み、上京。187センチの長身で、ファッションショー「東京ランウェイ」にも出演した。

 制作記者発表会に合わせて里帰りした原さんは「(花筐出演は)夢のまた夢のようで、うれしいの一言。しっかり演じたい」と決意をにじませた。

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