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抑圧の記録(1) 曖昧な表現で解釈拡大

2017年08月06日 09時51分

治安維持法案の帝国議会審議や法施行を伝える1925(大正14)年の佐賀新聞記事。言論の圧迫や捜査当局による乱用の恐れがあることを伝えている
治安維持法案の帝国議会審議や法施行を伝える1925(大正14)年の佐賀新聞記事。言論の圧迫や捜査当局による乱用の恐れがあることを伝えている

■乱用(上) 捜査側の恣意的運用可能に

 条文の曖昧さに、多くの政治家は危うさを感じ取った。

 「乱用の恐れはないのか」「言論の自由が脅かされないか」。1925(大正14)年2月、加藤高明内閣が帝国議会に提出した治安維持法案には、与党の一部からも懸念する声が上がった。新聞各紙は反対の論陣を張り、佐賀新聞も1面のコラムで「コンナ国民を網にするような愚案は否決し去るべしだ」と訴えた。

 しかし、法案はわずかな修正だけで成立し、4月に公布される。政党政治の下で誕生したこの法律は、終戦で廃止されるまで20年にわたって運用され、国民生活に影を落としていく。

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 治安維持法は、国内で勢力を伸ばしつつあった共産党を取り締まるためにつくられた。当時は第1次大戦後の不況や関東大震災による混乱で経済が悪化し、国民の間に不満が広がっていた。大正デモクラシーの影響を受けた社会運動が各地で湧き起こり、それが共産主義勢力とつながることを政府は警戒した。

 条文では共産党のことを「国体(天皇を中心とする国の在り方)の変革や私有財産制度の否認を目的とする結社」と曖昧に表現していた。「拡大解釈を招く」と議員たちは指摘したが、政府は「一般の人々には関わりがない」と主張し、審議を押し切った。

 施行された5月12日、佐賀新聞は「巡査の了簡(りょうけん)できまる 危険な法律が愈(いよい)よ十二日から」という見出しで報じた。国民の反発を招かないように捜査当局は当初慎重に運用したようだが、3年後に転機が訪れる。

 28(昭和3)年2月に実施された第1回普通選挙。共産党が11人を立候補させて「君主制の廃止」を公然と訴えたことが政府を刺激した。3月15日、捜査当局は治安維持法違反で一斉摘発を行い、全国で約1600人、佐賀新聞によると「佐賀県人」17人を検挙した。

 いざ検挙してみると、党に加入していない支持者の方が圧倒的に多かった。結社を取り締まる法律だったため、党員でなければ罪に問うのは難しい。そこで政府は条文を変え、「国体変革など結社の目的に寄与する一切の行為」を処罰する「目的遂行罪」を導入した。曖昧なまま解釈の幅を広げたこの改定が、捜査側の恣意(しい)的な運用を可能にした。

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 改定に伴い全国の府県に設置された特別高等警察(特高)は目的遂行罪を活用し、怪しいとにらんだ人物を次々と検挙した。佐賀県内でも、社会問題に関心を持ち、研究や言論活動をする若者らが標的になっていった。

 33(昭和8)年8月5日の夜明け前。男性は玄関の戸をしつこくたたく音に起こされた。「ちょっと調べたいことがある。武雄署まで来てくれ」。目を凝らすと、暗がりに5人の警察官が立っていた。

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 終戦から72年。犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込み、7月に施行された改正組織犯罪処罰法を、戦前・戦中の治安維持法に例える声がある。治安維持法下の日本や佐賀は、どのような状況だったのか。残された記録や証言を手掛かりに教訓を探る。

=抑圧の記録・治安維持法下の佐賀=

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