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筑後川石積み建造物 建設当時は「制水工」

「若津港導流堤」 誤表記で名称広まる

2017年06月21日 08時07分

筑後川の中央に築かれた「若津港導流堤」。有明海河口から約6.5㌔にわたり、整然と組まれた石積みの堤が伸びる=福岡県大川市大野島の新田大橋から撮影
筑後川の中央に築かれた「若津港導流堤」。有明海河口から約6.5㌔にわたり、整然と組まれた石積みの堤が伸びる=福岡県大川市大野島の新田大橋から撮影
筑後川石積み建造物 建設当時は「制水工」

■明治の県議会資料に記述

 明治中ごろ、筑後川の河川中央部に築かれた石積み建造物「若津港導流堤(通称デ・レイケ導流堤)」(佐賀市、大川市、柳川市)が建設当時、「制水工」と名付けられていたことが、地元研究者の調べで分かった。もともと河川の両岸に築いた複数の突堤を「導流堤」と呼んでいたが、1931(昭和6)年の土木工学専門書に「制水工」が「導流堤」と誤表記されたことが原因で、誤った名称が広まったとみている。

 20日、NPO法人「みなくるSAGA」の本間雄治理事(佐賀市)らが発表した。過去の文献を調べたところ、明治時代の県議会の資料「佐賀県会速記録」に、石積み建造物が「制水工」と記述されていた。1886(明治19)年11月5日に佐賀市で開いた河川工事の地元説明会に触れ、設計者の石黒五十二(いそじ)の発言も採録していた。

 「若津港導流堤」は有明海に注ぐ河口から早津江川分流点までの約6・5キロにわたる“堤防”で1890年に完成。河川中央部に幅11メートルの石積みを築いて川幅を狭めることで土砂の堆積を防ぎ、河川の流れる能力を高め航路を維持している。明治政府が招へいしたオランダの土木技師ヨハネス・デ・レイケが指導、石黒が設計した。工事記録はほとんど残っていなかった。

 速記録には工事の当初計画案もあり、縦行堤と横断堤を組み合わせた丁子(ちょうじ)形の建造物を河川中央に連続して造る予定だった。実際は縦行堤のみを連続して建造している。両岸の五つの突堤は「並行導流堤」と名付けてあった。

 本間さんは「『導流堤』の名称で普及しているので変更することは難しい。地元の歴史遺産を正確に顕彰していくためにも、『導流堤(制水工)』と両論併記することが望ましい」と話す。

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