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古絵図「唐津之図」なぜ武雄鍋島家に

唐津藩の情報網羅

2017年05月10日 07時50分

岸岳城跡の平面構造も描き込まれた「唐津之図」を解説する佐賀大学全学教育機構の宮武正登教授=武雄市図書館・歴史資料館
岸岳城跡の平面構造も描き込まれた「唐津之図」を解説する佐賀大学全学教育機構の宮武正登教授=武雄市図書館・歴史資料館

■佐賀大学宮武教授「実地調査した可能性」

 岸岳城跡を描き込んでいることが確認された古絵図「唐津之図(からつのず)」は、佐賀藩武雄領を治めた武雄鍋島家に伝わる資料の一つだ。縦3メートル、横4メートルの大きさがあり、唐津藩を描いた絵図では最大級で、道や河川、番所など藩政の基本情報が網羅されている。こうした絵図を江戸末期に佐賀藩がなぜ必要としたのか、作製過程の謎が関心を呼びそうだ。

 「唐津之図」の中央付近に岸岳城跡が位置し、松浦川や玄界灘沿いが描かれている。記述された内容から、江戸末期(19世紀前半)に作られたとみられている。

 岸岳城跡の描き込み方に比べると、唐津城の記載は簡略化され、城下の内町一帯が実際よりも90度、曲がっている。調査した佐賀大学全学教育機構の宮武正登教授(54)は「唐津藩の人間なら絶対に起こさないミス」として、武雄鍋島家側が作製したとみている。

 描写の細かさから、実地調査をして作製した可能性が高い。ただ、軍事上の重要施設の管理は厳しい。廃城したとはいえ、唐津藩の歴代藩主による管理は続いていた。宮武教授は「城番もいるのに、他藩の人間がどうやって入ったのだろう」と思案する。

 各藩が情報収集に努めていた幕末の政情もうかがえるが、「江戸期の常識では他藩の巨大絵図を作ることは考えられない。幕府と直結した譜代大名の唐津藩領の絵図をなぜ作ったのか、解明は今後の課題」と話す。

 歴史ファンの想像やロマンをかき立てる古絵図。サイズが大きく、実物の公開は簡単ではない。保管している武雄市図書館・歴史資料館は「課題を検討し、実現できる方向で考えていきたい」と話す。資料館のウェブサイト内の「武雄鍋島家資料閲覧システム」で見ることができる。

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