現在位置:

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 印刷

三重津に大型建物跡 佐賀市教委

幕末期の絵図に記載

2017年03月02日 10時01分

等間隔で柱跡が並び、大型建物の存在が分かった船屋地区の発掘現場=佐賀市の三重津海軍所跡
等間隔で柱跡が並び、大型建物の存在が分かった船屋地区の発掘現場=佐賀市の三重津海軍所跡

■等間隔の柱列 材木小屋か

 佐賀市教育委員会は1日、世界文化遺産「三重津海軍所跡」(諸富、川副町)の発掘調査で大型建物跡が見つかったと発表した。等間隔の柱列跡が見つかり、建物の長さは少なくとも46・8メートル以上ある。現時点で年代は特定できていない。幕末期(1850~60年代)の計画絵図に材木小屋の建築計画が記されており、造船製造時に必要な木材を保管した小屋の可能性もあるとみて調べている。

 1月上旬から、早津江川上流部の船屋地区と呼ばれるエリアの約500平方メートルを発掘調査していた。1・5~1・8メートル掘ったあたりから、建物の柱跡16カ所を確認した。このうち柱列は11カ所で直径25~30センチで、3・9メートル間隔で埋まっていた。その近くに並行して5カ所、等間隔で柱跡があった。未発掘部分にも柱跡がある可能性があり、全長、全幅は確定していない。

 史跡は早津江川の上流から「船屋」「稽古場」、ドライドック(乾船渠(かんせんきょ))遺構が見つかった「修覆場」の3地区に分けられる。船屋は三重津海軍所の前身となる「御船手稽古所」が置かれ、それ以前から佐賀藩が和船を管理する場所の一つだった。

 幕末期の計画絵図では、調査場所は「材木小屋幅六間長サ三拾間」(1間は約1・8メートル)と記されており、今回の発見と類似規模。材木小屋は、佐賀藩が蒸気船製造のための木材を保管したと考えられる。

 柱跡周辺から年代測定できる遺物は見つかっていない。今後、柱の科学的な測定を検討している。

 柱跡が見つかった地点からさらに1・4~1・6メートル下部に厚さ1・5メートルのカキの貝殻層も見つかった。貝殻が土壌改良のために埋められた物か自然堆積(たいせき)物か詳しく調べる。

 本年度の調査終了後、来年秋以降に再び船屋地区の発掘調査を継続する。市文化振興課の中野充さんは「建物跡は、年代測定の結果を知ることが重要になる」とした上で「建物の規模を確定したい。今回の発見は、船屋地区の成り立ちや実態を解明する重要な手掛かりになる」と話す。

 5日午前9時から計3回、発掘現場を一般公開し、現地説明会を開く。問い合わせは市文化振興課、電話0952(40)7368。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 印刷

記事アクセスランキング

明治維新150年