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岡田三郎助アトリエ保存へ 県立博物館横に移築

県、18年度内に 多目的な活用を目指す

2017年01月10日 09時06分

アトリエ内を写した当時の写真。岡田三郎助(右)と妻の八千代が映っている(明治42年撮影、昭和17年刊行の「畫人岡田三郎助」より)
アトリエ内を写した当時の写真。岡田三郎助(右)と妻の八千代が映っている(明治42年撮影、昭和17年刊行の「畫人岡田三郎助」より)
岡田三郎助が使用したアトリエ。昭和初期に入り、女子美術研究所(奥)のアトリエが増設されている=東京都渋谷区恵比寿
岡田三郎助が使用したアトリエ。昭和初期に入り、女子美術研究所(奥)のアトリエが増設されている=東京都渋谷区恵比寿
「少女読書」の背景に描かれている窓枠も現存する=東京都渋谷区恵比寿
「少女読書」の背景に描かれている窓枠も現存する=東京都渋谷区恵比寿

 近代日本洋画壇の巨匠で佐賀市出身の洋画家、岡田三郎助(1869~1939年)が使っていたアトリエ(東京都渋谷区恵比寿)を、佐賀県が佐賀市の県立博物館横に移築し、保存することになった。明治末期に建てられたアトリエが現存している例はほとんどなく、「岡田コレクションを充実させる上で貴重」と判断した。建物内のアトリエ2部屋を2018年度内に移築完了し、画家の滞在制作やカフェ、講義室など多目的な活用を目指す。

 アトリエは1908(明治41)年に建てられた木造洋風建築。調度類や荷物入れ、絵の具箱、石膏(せっこう)像などが現存し、絵画「少女読書」の背景に描かれた窓枠も残っている。昭和初期に増築された部屋は、岡田主宰の画塾「女子美術研究所」の教室として使用していた。

 2部屋合わせて約100平方メートル。昭和に入って増築した住居部分を含めると建物自体(2階建て)は200平方メートル近くになる。岡田の死去後、弟子の洋画家・辻永(ひさし)がアトリエを譲り受け、現在はその親族が所有している。

 アトリエは路地から入り組んだ場所にあったため、美術関係者にもその存在がほとんど知られていなかったという。2013年、明治期の文化財調査の一環で、東京大大学院工学系研究科の藤井恵介教授(建築学)が調べた。14年に所有者側が建物を寄贈できるかどうか、県立美術館・博物館に相談した。譲渡内容は最終調整している。

 県は昨年11月補正予算で調査・基本設計費として1300万円を計上、12月には専門家が現地を視察した。計画ではアトリエ2部屋を県立博物館東側にあるカフェ近くの空きスペースに移築する。新年度当初予算案に移築保存費約1億5千万円を組む方針。国の地方創生拠点整備交付金を見込む。交付金が下りない場合は県費単独で予算化することも検討する。

 藤井教授は「画家が使用したアトリエとして明治期当初の姿をよくとどめている例はほかにない」と高く評価する。現存するアトリエ建築物は昭和初期が主で朝倉彫塑館(東京)や小林古径邸(同)など数少ない。

 メーンの収蔵品として日本最大の岡田コレクションを有す県立美術館・博物館の竹下正博学芸員は「この機を逃せば、建物が老朽化しており保存は難しい。最初で最後のチャンス」と移築の意義を説明する。

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