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不慮の事故から29年の歳月を経て「先生になる夢」をかなえる女性がいる。唐津市相知町の井手千佳子さん(48)。体や言葉が不自由で一度あきらめた教師への道に再挑戦。佐賀大学文化教育部を今春卒業し、家庭科の先生になる。長女で大学院教育学研究科を修了するちひろさん(24)と親子で24日、晴れの学位記授与式を迎える。
千佳子さんは1980年、佐賀大の旧教育学部に入学。翌年12月、家庭教師のアルバイト中に後頭部を打って意識を失った。「小脳内出血」で手術で一命は取り留めたが、手足のまひや言語障害も残ると告げられた。ショックで死ぬことを考え食事も拒んだが、「生きて」と初めて涙を見せる母親の姿に、応えなければと思った。
リハビリで徐々に歩けるようになり83年春に復学。しかし、周囲の視線は「奇異なものを見るように冷たかった」。指導教員にも「その体では板書も教育実習もできない」と言われ、いたたまれなくなって半年後に退学した。
失意の底に沈んでいた翌年、以前から交際していた倫光さん(現・大志小教諭)と結婚した。千佳子さんが病床で現実を受け入れられなかったとき、元気だったころの写真を見せ、我に返るきっかけをくれた先輩だった。
2年後、ちひろさんが誕生。息子も授かった。障害者の職業能力開発校でパソコンを学び、短期の仕事で家計を助けた。ただ「何か違う」と感じていた。学校の話題になると話をそらし、教師としての夫に嫉妬(しっと)する自分がいた。「これが一時期でも教師を目指したわたしの生き方だろうか。生き直そう」。そう決心した。倫光さんの後押しもあり、ちひろさんが佐賀大に合格した翌2005年、過去の修得単位が生かせる再入学制度で再出発した。
右半身が不自由なため、キャンパスを歩くだけで息が上がった。講義は略語で書き留め、パソコンで清書した。無理がたたり頸椎(けいつい)ヘルニアで入院したが、半期休学で復帰。鎮痛剤をしのばせ通い続けた。
ちひろさんは幼いころから代筆や介助をしてきた。大学では母親の存在に気恥ずかしさや息苦しさを感じ、距離を置いた時期もあったが、千佳子さんが孤立しないように気を配り、異変があると駆け付けた。指導教員の甲斐今日子教授に加え、「さまざまな先生や同級生、先輩・後輩たちが、わたしたち親子をサポートしてくれた」と感謝する。
教員免許を取得した千佳子さんは唐津地区の公立校、ちひろさんは早稲田佐賀中学・高等学校で、それぞれ家庭科の非常勤講師になる。「夢の第一歩。家では二人で教材研究をしたい」と笑みを浮かべる千佳子さん。24日の学位記授与式では、支えてくれた両親や家族、関係者への感謝を胸に、事故で出席できなかった成人式に用意していた、仮縫いの糸がついたままだった着物に袖を通す。
【写真】指導教員の研究室で談笑する井手千佳子さん(右)、ちひろさん親子=佐賀大本庄キャンパス
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