代表作や弟子らの70点 澤田痴陶人絵付けの花器も
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故小野琥山
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嬉野町にあって独創的な作品を創作し、多くの後進を育てた陶芸家、小野琥山(1890~1971年)の生誕120年を記念した「小野琥山一門展」が、24日から有田町の県立九州陶磁文化館で開かれる。琥山の代表作13点を軸に、長女の故小野珀子、一番弟子の故田中一晃ら一門13人のほか、親しかった沢田痴陶人の作品など合わせて約70点を並べる。4月4日まで。
同展は、親族や弟子たちが実行委員会をつくって企画。一門の作品を一堂に展示するのは、今回が初めて。
琥山は福島県会津若松市出身。名古屋の日本陶器(現ノリタケ)などで石こう原型の第一人者として活躍した後、1937年に嬉野町吉田に窯業指導者として招かれた。戦後、同町に住み自らの窯を構えた。
琥山の創作精神の源は、独自性と新しい作風の追求。石こうによる鋳(い)込み技術を肥前地区にもたらしたほか、釉薬(ゆうやく)で多色を表現する「釉彩」の技法を確立した。
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小野琥山作「堆白手自画像」
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小野琥山作「鉄釉掻落柿紋皿」
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さらに、「自分らしさ」の模索から生み出したのが、白い陶土と呉須を混ぜ合わせた泥しょうを塗り重ねて文様の濃淡を表現する「堆白手(ついはくで)」の技法。「堆白手自画像」(65年)は鏡のような光沢の中に、あめ釉の濃淡で自画像を浮かび上がせている。
呉須(ごす)に銅を混ぜ込むことで、赤みがかった発色を生む技法も得意とした。「銅呉須梅紋壺」(64年)はその代表作。技術は弟子たちによって高められ、白磁にほのかな紅色が映える「釉裏紅(ゆうりこう)へと昇華した。このほか、「鉄釉掻落(かきおとし)柿紋皿」(41年)は磁器にかけた釉薬を掻き落としたもので、油彩のような絵画的な雰囲気が漂う。
琥山の特筆すべき功績は、「琥山学校」とも称された後進の育成ともいわれる。「作家は一代」と独自の表現にこだわる創作姿勢は弟子たちにも伝わっていった。59年から13年間、琥山のもとで修業した松尾重利(武雄市・凌山窯)は「窯は自由な雰囲気に満ち、先生も独自の表現を目指すことを奨励してくれた」と当時を振り返る。
釉裏(ゆうり)金彩の珀子、次男の祥瓷、釉裏紅の名手といわれた田中一晃のほか、桟秋正、宮崎谷男、宮崎祐輔、小野達郎、小野次郎、野中拓、納所正一、成松亨、小野隆治ら、そうそうたる顔ぶれ。一門展では、それぞれの代表作だけでなく、琥山窯在籍時の作品も出品することにしている。
また、琥山は陶磁器デザインの鬼才、澤田痴陶人とも親交が深かった。痴陶人とは度々、創作論議を交わしており、痴陶人が自ら絵付けしたり、窯の職人がデザインをもとに描いた作品も残っていた。今回、大胆で自由闊達(かったつ)な絵付けの作品5点も会場を彩る。=文中敬称略=
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