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旅するシネマ(22)「地の群れ」(1970年)

熊井啓監督

2016年12月05日 09時48分

高台から撮影の指示を出す熊井監督(右)=1969年、佐世保市内(木下さん提供)
高台から撮影の指示を出す熊井監督(右)=1969年、佐世保市内(木下さん提供)
映画の中に繰り返し登場する佐世保港。今も米軍や自衛隊の艦船が行き交う=佐世保市
映画の中に繰り返し登場する佐世保港。今も米軍や自衛隊の艦船が行き交う=佐世保市
シスター役で急きょ出演
シスター役で急きょ出演
「地の群れ」 DVD発売中、3800円(税別)発売元:DIGレーベル(ディメンション)?1970綜映社
「地の群れ」 DVD発売中、3800円(税別)発売元:DIGレーベル(ディメンション)?1970綜映社

■暗さから目をそらすな

 佐世保の弓張岳展望台から市街地を見下ろす。フィルムに残る半世紀ほど前の光景と比べ、街並みは随分と近代化した。だが、米軍や自衛隊の艦船が行き交う港の姿は今も変わらない。

 1970年公開の「地の群れ」は、少年時代を佐世保で過ごした井上光晴の同名原作を基に、熊井啓監督が戦争や差別を強烈な映像表現で告発している。

 69年12月、一般公開に先立ち佐世保市民会館であった上映会。「ベトナムに平和を! 市民連合」(ベ平連)で活動した濱田亮典さん(71)は、立ち見も出るほど混雑した会場で鑑賞した。「反戦運動に沸く佐世保の空気感を、うまく取り入れていた」と振り返る。

 ロケ前年の68年、米原子力空母エンタープライズが日本で初めて佐世保に寄港。学生らと警官隊が激しくぶつかった「エンプラ事件」の現場の佐世保橋や、米軍基地近くの平瀬橋なども登場する。濱田さんが保管している上映会のチラシに、熊井監督のメッセージが残る。「広く訴えようとする主題は、日本の原罪ともいうべきあらゆる差別、それを生産した原爆、体制への告発そのものである」

 物語は佐世保で診療所を営む医師、宇南を軸に進む。原爆の投下直後、父を捜しに佐世保から長崎に入った。母は被差別集落出身。そんな過去がある宇南の前に、差別に苦しむ人々が現れる。

 演じた鈴木瑞穂さん(89)によると、今も記憶に残るシーンがあるという。妻から妊娠を打ち明けられた宇南は、自らの分身を世に送り出していいのかと呻吟(しんぎん)する。揺れる内面が生み出す空気感をくみ取ろうと、熊井監督は15分間、カットの声を掛けなかった。「記録的長回しだった。撮り終わるとフィルムがカラカラ回っていた」

 大手映画会社の製作費が安くても1億円程度だった時代に、この作品は1千万円ほどで作られた。助監督だった石野憲助さん(80)は「節約に節約を重ねた」と語る。セットのほとんどは、東京の撮影所。診療所は道具小屋を改造し、小道具も持ち寄るなど、スタッフの情熱が支えた。

 戦後70年を迎えた2015年7月、ようやくDVD化された。それからさらに1年。戦争の記憶は加速度的に薄らぐ。一方、差別の元凶となる問題は今も山積している。「時代は変わっても、世の中の本質を突いている。今だからこそ多くの人に見てほしい」。電話の向こうの鈴木さんの低く抑えた声が耳に残った。

 熊井監督は生前、鈴木さんに「日本の底辺の暗さを、しかと見つめないと本当の明るさは取り戻せない。暗さから目をそらすやつは、いんちきだ」と語っていたという。

       ◆

 夜の佐世保港。岸壁に近づくと、船の明かりが冬の闇に揺れていた。それは普段、気にも留めない薄暗いこの時代の色彩のようにも思えた。

■ストーリー

 過去に朝鮮人の少女を妊娠させて逃げた男、宇南(鈴木瑞穂)は佐世保で診療所を開いている。原爆の影響と思われる患者がいたが、患者の母光子(奈良岡朋子)は差別を恐れてかたくなに否定する。ある日、被差別集落に住む徳子(紀比呂子)が「性的暴行の証明書を書いてほしい」とやってくる。徳子は被爆者が暮らす集落の男から暴行を受けていた。集落間でくすぶっていた恨みや憎悪が炎上し、思わぬ悲劇へと向かう。

 原作は井上光晴の同名小説。熊井啓監督と共同で脚本も手掛けた。出演はほかに松本典子、寺田誠、宇野重吉、北林谷栄ら。1970年公開。モノクロ、127分。

■MEMORY シスター役で急きょ出演

 撮影当時、福岡から佐世保に来ていた劇団の役者が雨続きでロケができず帰ってしまった。演劇鑑賞団体「佐世保市民劇場」の事務局長だった木下央子さん(80)は、助監督から懇願され、シスター役で急きょ出演=写真左の右から2人目=。女性会員3人と共に衣装を着た。

 映画の序盤、佐世保川沿いに4人で隊列を組んで歩くだけの役。後をつけてくる男を振り切る約2分の場面を、1週間近くかけて撮影した。熊井監督は近くの高台から「笑わずに歩いて」「もっと急いで」と、しぐさや表情までこだわって指示していたという。

 木下さんは、ロケ隊に格安の旅館を紹介するなど裏方としても支えた。「普段は芝居を見る専門だから、まさか出るなんて思わなかった。雨が多くて苦労していたけれど、根気強く撮影していた」と振り返った。

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