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旅するシネマ(21)「男はつらいよ ぼくの伯父さん」(1989年)

山田洋次監督

2016年11月21日 10時29分

「男はつらいよ ぼくの伯父さん」DVD発売中、1800円(税別)、発売元:松竹、販売元:松竹
「男はつらいよ ぼくの伯父さん」DVD発売中、1800円(税別)、発売元:松竹、販売元:松竹
「男はつらいよ」のシリーズで定番となっているラストの正月のシーンは、急な階段が続く須賀神社で撮影された=小城市小城町
「男はつらいよ」のシリーズで定番となっているラストの正月のシーンは、急な階段が続く須賀神社で撮影された=小城市小城町
佐賀ロケのワンシーン。小城駅の赤電話から東京・柴又に電話をかける寅さん=1989年11月
佐賀ロケのワンシーン。小城駅の赤電話から東京・柴又に電話をかける寅さん=1989年11月
エンジ色のリボンが受け継がれている小城高の制服。2年の児島有紀さん(左)と野口水萌菜さんは「かわいくて気に入っている」と話す
エンジ色のリボンが受け継がれている小城高の制服。2年の児島有紀さん(左)と野口水萌菜さんは「かわいくて気に入っている」と話す
地図
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■まちの景色も“主役”に

 国民的な人気を集めた寅さん(渥美清)が全国を旅する「男はつらいよ」。おいの満男(吉岡秀隆)に恋の手ほどきをするシリーズ42作目「ぼくの伯父さん」は佐賀県が主な舞台だ。

 弥生のクニとして脚光を浴びた吉野ケ里遺跡や、後に嘉瀬川ダムに沈む佐賀市富士町東畑瀬など県内各地が登場。中でも、城下町の風情が残る小城市で数多くのシーンが撮影された。

 満男は、両親の離婚で転校した高校時代の後輩・泉(後藤久美子)を追って佐賀へ。寅さんと偶然出会い、泉が暮らす叔母・寿子(檀ふみ)宅を一緒に訪ねる。山田洋次監督らが気に入り、このシーンに使われたのは、小城市三日月町の旧千代雀酒造だ。

 築約90年の母屋はいまも“現役”。室内撮影用にはセットが組まれたが、和風建築の落ち着いた雰囲気が忠実に再現された。家主の古川正孝さん(66)は「若かった後藤さんはとても緊張していたけど、檀さんは気さくに声を掛けてくれた」と当時を懐かしむ。

 1969年から26年間、48作にも及ぶシリーズは、人情に厚い寅さんの自由な生き方が観客の共感を呼んだ。渥美さんが亡くなり、20年がたった今も世代を超えて愛され続けているが、日本各地の“ふるさと”の美しさが楽しめることも人気の理由の一つだろう。

 映画終盤、寅さんが小城駅の赤電話から東京・柴又に電話をかける場面も印象的だ。電話の向こうでは家出した満男が戻ったばかり。さくら(倍賞千恵子)やおいちゃん(下條正巳)らおなじみのメンバーが勢ぞろいしている。一方、寅さんは小銭が切れ、残念そうに無人駅のホームに向かう。

 駅前の和菓子店が背景に映る「村岡総本舗」社長の村岡安広さん(68)は「国鉄が民営化された直後で、小城駅がいちばん寂しい時期だった。山田監督はまちの姿をそのまま描きたかったのでしょう」と思い返す。

 「ヤケのヤンパチ日焼けのナスビ、色が黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で…」。映画のラスト、定番となっている正月の初詣客でにぎわうシーンは、急な階段が続く同市小城町の須賀神社で撮影されたが、こちらは一転してにぎやかだ。寅さんの威勢のいい口上が心地よい。

 シリーズは古いものばかりでなく、その時代のローカルの良さを描き、新たな伝統をつくり上げてきた。「30年近くたったけど、映画を見返すと、小城の本質は変わっていないと思う。変わっていくもの、残さなければならないもの。まちの在り方も考えさせてくれる」と村岡さん。スクリーンに映し出されるまちの景色が、もう一つの“主役”だ。

■「男はつらいよ ぼくの伯父さん」ストーリー

 寅次郎(渥美清)のおいで予備校に通っている満男(吉岡秀隆)は、両親の離婚で転校した高校時代の後輩・泉(後藤久美子)を追ってバイクで東京から佐賀に向かう。偶然出会った寅次郎とともに、泉が暮らす叔母・寿子(檀ふみ)の家を訪れるが、教師で厳格な叔父(尾藤イサオ)の対応は手厳しい。寅次郎は指南役として若い2人の淡い恋の行方を見守る。

 佐賀ロケは、唐津市などを舞台にした14作目「寅次郎子守唄」(1974年)以来。出演はほかに倍賞千恵子、前田吟ら。カラー108分。

■MEMORY 【ゴクミのリボン】撮影用のエンジ色受け継ぐ

 後藤久美子演じる泉が通っていたのが、小城市の小城高。映画後半、寅さんが泉に別れを告げるために高校を訪れる。「はやいとここの土地の言葉覚えて、いい友達をつくんな」と声を掛けた後、「よかか」と続ける。寅さんが佐賀弁を披露する貴重なシーンだ。

 このとき、泉が着ている制服のリボンはエンジ色。当時の生徒が着用していたのは紺色で、撮影用に山田洋次監督が選んだものらしい。映画の影響力は大きく、撮影後に実際のリボンもエンジ色に変わり、制服がリニューアルされたいまも受け継がれている。

 後藤は「ゴクミ」のニックネームで、国民的美少女として一世を風靡(ふうび)した。当時、担任を受け持っていた陣野公一郎教諭(59)は「帰りの会で教室に行ってみると、もぬけの殻。生徒はみんな撮影を見に行っていた」。ゴクミの人気ぶりがうかがえる。

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