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沖縄復帰45年

苦難の歴史に思いを

2017年05月17日 05時00分

 米国の施政権下に置かれていた沖縄が1972年に本土に復帰して15日で45年となった。

 当時、沖縄の人々の復帰運動には、戦争放棄を掲げた「平和憲法の下へ」という願いがあった。その基盤にあったのは、大規模な地上戦を経験し、土地を奪われて米軍基地が造られ、52年の日本の主権回復時に本土から切り離されるという苦難を味わった沖縄の人々の「基地のない平和な島」への強い思いだ。

 しかし現実は異なった。米軍基地は沖縄に集中し、現在、在日米軍専用施設の約70%が沖縄に置かれる。さらに安倍政権は、96年に日米両政府が返還合意した宜野湾市の普天間飛行場の県内移設を進め、名護市辺野古沿岸部の埋め立てに向けた護岸工事に着手した。

 政府は市街地中心部にある飛行場の移設による危険性の除去を主張する。だが移設計画は2本の滑走路など大規模な施設を新たに建設するもので、沖縄県の翁長雄志知事らは「新基地建設」だと反対している。

 政府の対応は沖縄の歴史への思いを欠き、2014年の県知事選や衆院選で県民が示した「移設反対」の意思を踏みにじるものだ。沖縄の苦難の歴史にもう一度向き合い、平和主義に立脚する将来像を具体化する取り組みを政府に求めたい。

 45年前の5月15日、琉球政府主席から県知事となった屋良朝苗氏は、那覇市で開かれた記念式典で「県民自治を基調とする平和で、明るい、豊かな県づくりにまい進する」と表明した。

 ただ同時に米軍基地問題にも言及し「これからも厳しさは続き、新しい困難に直面するかもしれない」と述べた。残念ながら現実は屋良氏の危惧した方向に進んだ。

 沖縄では米軍基地の整理・縮小は進まず、米軍絡みの事件・事故も後を絶たない。今年施行70年を迎えた憲法が掲げる平和主義や基本的人権の尊重、地方自治よりも、日米安全保障条約や米軍人らの法的地位を定めた地位協定が優先されてきたのが実態と言えよう。

 憲法と同じく今年施行70年となる地方自治法は、1999年成立の地方分権一括法に伴う改正で、国と地方の関係を「上下・主従」から「対等・協力」へと転換した。だが、菅義偉官房長官が言うように移設工事を「粛々と」進め、既成事実化しようとする政府の姿勢は、沖縄を依然「下」に見る対応ではないか。

 本土では県民の反対で米新型輸送機オスプレイの訓練移転の計画が撤回されたのに対し、沖縄では反対の声は顧みられない。「沖縄差別」の声が上がるのも当然だろう。

 施行70年の憲法記念日に、翁長知事は「県民は沖縄戦や米軍統治の苦難の歴史を通して、平和と人権の尊さを肌身で感じている」との談話を発表。「アジア・太平洋地域の平和と交流の拠点として恒久平和の創造に努めることは私たちの責務だ」と強調した。

 憲法の平和主義は、集団的自衛権行使を解禁した安全保障関連法制定や安倍晋三首相の9条改正発言で揺らいでいる。しかし中国が進出を図る東シナ海に位置する沖縄にとって、紛争のない平和こそが生命線である。

 事態を動かせるのは世論の声だ。沖縄の過重な基地負担の上に成り立つ安全保障政策でいいのか。真剣に受け止めて考えるよう本土の人々に呼び掛けたい。(共同通信・川上高志)

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