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熊本地震から1年 西原村ルポ

追悼と誓いの春

2017年04月16日 09時34分

集落にあるほとんどの住宅が全壊した熊本県西原村の大切畑地区。解体が進む一方で新しい家が建たず、さら地が目立つ
集落にあるほとんどの住宅が全壊した熊本県西原村の大切畑地区。解体が進む一方で新しい家が建たず、さら地が目立つ
熊本地震から1年、西原村の犠牲者追悼式の後、風船を放つ子どもたち=15日午前
熊本地震から1年、西原村の犠牲者追悼式の後、風船を放つ子どもたち=15日午前

■早く元の生活を/これから正念場

 家々を覆っていたブルーシートに代わり、さら地が目についた。熊本地震の本震から16日で1年。震度7を観測した熊本県西原村を再び訪れると、家屋の解体が進んでいた。重機のエンジン音だけが響く人けのない集落もある中、村の追悼式が15日に執り行われた。復興を手繰り寄せようと、亡き人に誓う春がある。

 村民グラウンドを利用した震災がれきの仮置き場は1年前と同じ光景だった。解体された家屋の廃材が山積みになっている。処理業務を担う業者の社長が振り返る。「一時はこの5倍はあったよ。もうピークはすぎたからね」

 村によると、被災した家屋の解体作業は3月末までに、申請があった約1600棟のうち9割を終えた。それでも、仮設住宅を離れたのは302世帯のうち2世帯だけ。資金繰りや再び地震に見舞われることへの不安から、住宅の再建に二の足を踏む人もいる。

 大切畑地区は、震源になった布田川断層帯の延長線上にあり、34棟のうち32棟が全壊した。山の斜面に身を寄せ合うように立っていた家屋は、ほとんどがさら地になった。「見晴らしが良くなってねえ」。集落で唯一、半壊の家に住み続ける坂田まゆみさん(56)は寂しそうにつぶやいた。

 被害が大きかった六つの地区では昨年6月から、集落を維持するかどうか話し合いを重ねてきた。当初は集団移転を希望する声もあったが、最終的に全ての地区が存続を決めた。厳しい境遇を団結力で乗り越えてきた人たちはコミュニティーの大切さを痛感している。それでも坂田さんの心配は尽きない。「12、13世帯は戻ってくる予定だけど、今の状況が長引けば気が変わる人もいるかもしれない」

 住宅再建を後押しする補助金や義援金の支給も始まったが、資金繰りのめどが付いても、早期の着工は難しいという。建設業界の人手不足は深刻で、道路や宅地といったインフラ自体の復旧が遅れている。

 佐賀県と市町はこの1年、村の復興を手助けする職員を多数派遣してきた。3月まで半年間、村道の復旧に携わった佐賀市職員の永岡悟さん(26)は「道路や法面(のりめん)は崩れたままで、発注しても業者が足りない。全てが復旧するまであと2年はかかる」と感じている。

 15日に開かれた村の追悼式。日置和彦村長は「犠牲になった8人のためにも、変わり果てた集落を再生させ、一日も早く元の生活を取り戻せるよう努力していく」と誓った。

 3月まで唐津市から派遣され、仮設住宅で暮らす人の心のケアに当たった保健師の折尾直美さん(48)は「今はまだ、みんなの気持ちが一つになって頑張れているけれど、これからが正念場」とみている。

 復興が進んでも、仮設を出るめどが立たない人がいるかもしれない。「取り残された」という疎外感に陥らないように、どう支えていくか。長い道のり。被災者との伴走はこれからも続く。

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