「色絵窓絵草花文三足鉢」の裏側。高台内には吉祥を示す「冨貴長春」の銘がある

萬賄方控帳から再現した江戸時代の料理。古伊万里をはじめ、輪島漆器などが使われている

色絵窓絵草花文三足鉢

■豪商が愛した古伊万里 町民間での饗応に使用

 江戸・元禄時代(1688~1704年)、上方を中心とした町民文化が発展、古伊万里は海運の流通網に乗って日本全国に普及した。江戸は好景気に沸き、大名や公家だけでなく商家や豪農も特別な日の宴席で古伊万里を使うようになった。北信濃屈指の豪商「田中家」(長野県須坂市)に伝わる「色絵窓絵草花文三足鉢」(田中本家博物館蔵)は18世紀後半に作られた金襴手(きんらんで)様式の磁器。町民文化は下火になった時代のものだが、豪商の繁栄ぶりを象徴する逸品だ。

 田中家は江戸中期に創業し、その財力は須坂藩をも上回ると言われた。菜種油を中心に穀物や煙草などを販売、藩の御用商人も務めた。現存する陶磁器は江戸期のものを中心に数千点に上るという。大ぶりの鉢や尺皿が数多く残り、中でも古伊万里が伝来数や保存状態の上でも傑出。10枚、20枚の組み物も残る。

 このうち「色絵窓絵草花文三足鉢」は箱書きに「金襴手足付丼」と記してあり、豪勢な料理を盛り付ける食膳具として用いてきたとされる。器の口縁がこすれており、実際に使用されてきたことがうかがえる。

 本作は一対で伝わっており、染付の呉須(ごす)と赤や緑、水色の上絵具で描かれ、口縁には金彩も施されている。鉢の中央にある見込(みこみ)の周りには、複数の平行する斜線を交差させた「四方襷文(よもたすきもん)」が地紋となって廻(めぐ)っている。窓絵の中には、笙(しょう)や珊瑚(さんご)などさまざまな宝物を描いた「七宝(しっぽう)文」や「花唐草文」が描かれ、華やかさを演出している。裏面には、中国産の奇岩「太湖石」と桜樹文が配され、高台の周りには連弁文が廻る。高台内には吉祥を示す「冨貴長春」の銘が記されている。

 今秋、九州国立博物館で開催された「古伊万里 旧家の暮らしを彩った器」展で本作は展示された。担当した酒井田千秋学芸員は「色絵磁器はもともと高価な器。本作は文様が驚くほど緻密にびっしりと描かれた優品」という。

 では実際、この器にはどんな料理を盛り付けたのだろうか-。田中家に残る「万賄方控帳(よろずまかないかたひかえちょう)」には、宴席での献立や使用した食膳器が記録してある。残念ながら本作に関する記述は見つかっていない。

 ちなみに嘉永元年(1848年)10月の控帳には、上田藩主の老中就任を祝って催された宴席で出された献立の記載がある。古伊万里の鉢には、タイやヒラメなどの刺身を、大皿にはカニの手鞠(てまり)寿司や焼きシイタケ、サンマの燻製が盛り付けてあった。

 18世紀末頃から華やかな色絵は減少し、青一色の染付が主流となる。田中家では、武家相手の宴席で使う器は質素で控えめだが上質な染付を使い、町民同士の宴席では色絵も交えたとされる。田中本家博物館の田中和仁館長は「古伊万里を見ると、いかに素晴らしい文化が日本に根付いていたかが分かる。佐賀から遠く離れた長野の地にいかに古伊万里が伝わり、どんな風に使われたのか歴史に思いをはせてもらえれば」と語る。

■データ

高 さ 9.3センチ

口 径 25.0センチ

高台径 11.8センチ

制作年 18世紀後半

制 作 有田肥前窯

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