県人権擁護委員連合会理事、元小学校校長 牟田恭子さん

■「人権」の深ささらに表現を 葛藤通じ「学ぶ」紙面に

 「亡き夫に留守を託して避難立ち」(11日・有明抄から)。東日本大震災から6年を迎え、3月は原発再稼働の是非を問う記事が満載だった。一方では、人間性の根幹を学ぶ必要に迫られる課題が露呈した。人間は窮地に陥ると、周りが見えず、本来日本人にあるはずの「情けや思いやり精神」は闇に消えやすい。

 「住宅無償提供月内終了」(10日)や「一家行方不明」の遺書を残して命を絶った老人の記事(18日)は、国の冷たさ、地域福祉の弱さを知らされ、胸が痛んだ。福島ナンバーを見て除染の有無を尋ねられたり、店の来客から「被害者面するな」と怒鳴られたという。そういう社会の空気は、補償を受けた家庭の中学生から金銭を巻き上げるいじめにつながった。

 弱者へのいじめの構図は、日本人の人権の低さを表す。それでも記事に「人権」の2文字はない。専門家のコメントを挿入するなどして、単なる同情に終わることなく、人権の立場からメスを入れてほしかった。

 ボランティアに関するほほ笑ましい記事があった。地域消防団の活動をたたえ、県知事が家族にコメントを贈った記事(8日)だ。また、10日の国際赤十字がボランティアの責務、権利を定めた憲章を制定したという記事は、災害多発の今日、ボランティアの必要性を公認した証しである。

 その記事の横に、ボランティアの意味が掲載されていたが、辞書的表現で終わった。マザーテレサはボランティアについて「極寒に震える少女に毛布を贈ることではなく、共に寄り添い、寒さに耐えることだ」と語った。そんな言葉が読者の心を動かす。行政だけに頼らず、共働、共助の必要性が言われる今日、ボランティア精神が人権保持に貢献していくだろう。

 学校教育上での防災学習も必要だ。8日、静岡県の中学校での「ゆさぶり道徳授業」が目を引いた。緊急避難で「逃げる派」と「助ける派」に分かれ、心の揺さぶりで思考を練るという。自己の命と他者の命の向き合いは、真の人権の重さと直面する。「あなただったらどうする?」の一言を読者に語りかけ、葛藤を呼び起こす場を提供することで、「読む」から「学ぶ」紙面となり大人自身の意識改革の一助となるだろう。

 福島県から避難した住民による集団訴訟で17日、前橋地裁は国と東電の過失を認めたが、理由は「古里の喪失」「転校」「将来への不安」など多様な苦しみに目を向けたこれまでにない独自基準の算定であった。すなわち人が人として認められる権利、人権の保守にほかならない。ここでも記事に「人権」という文字で、もう一歩の深さを表現してほしい。

 12日の哲学者寄稿で「被災後の現実は、そこへ追い詰められた結果ではなく出発点だ」とある。これからの未来づくりに、新聞が人権意識を土台として大きく寄与するであろうことを期待したい。=3月分=(むた・きょうこ、唐津市)

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