石造宝篋印塔(武雄市重要文化財)=武雄市若木町の秀岩寺

■室町伝える2基の墓碑

 若木町川古の秀岩寺は、戦国時代に橘渋江氏と後藤氏がこの地の覇権を争う中で戦死した馬渡甲斐守俊明の菩提(ぼだい)を弔うために、妻が建てた庵(あん)が起源です。寺名は俊明の法名「秀岩」にちなんでつけられています。

 この寺に、俊明とその妻の墓碑といわれる宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。宝篋印塔とは、本来は仏舎利(釈迦の遺骨)及び宝篋印陀羅尼経(だらにきょう)を納める塔で、のちには供養塔・墓碑塔として建てられるようになりました。

 秀岩寺の宝篋印塔は、いずれも基礎、塔身、笠、相輪の4部分から構成されています。大きい方は、高さ1.7メートルで、塔身の4面に胎蔵界(たいぞうかい)の4仏を種字で表し、「馬渡甲州/秀岩/天文癸巳(天文2年=1533)/十一月念六日」、基礎に「俊明」と刻銘されています。小さい方は、高さ1.3メートルで、塔身の4面に卦が刻まれ、その1面に「賢剛妙貞逆修壽位」、基礎に「弘治四(1558)白八月吉日」と刻銘されています。

 鎌倉~室町時代は、各種石塔婆(せきとうば)の造立が盛んであった時代ですが、佐賀県内には室町時代の物がいくらか残存しているにすぎません。本宝篋印塔は、室町時代の特色をよく表しており、しかも2基ともに年代や人物が特定できる銘があり、歴史的な資料としても貴重な存在です。

 また、これらの後ろに小型の五輪塔が8基並んでいるのは、秀岩と一緒に戦死した家臣の塔であると伝承されています。(武雄市図書館・歴史資料館 一ノ瀬明子)

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