「料亭綾」と呼ばれるほど料理上手だった母親の綾子さんの思い出を振り返った蒲池桃子さん=西松浦郡有田町の賞美堂本店

晴れの日の料理や来客をもてなす際、蒲池桃子さんの母親の綾子さんが好んで使った万暦赤玉大鉢

母親の綾子さん(左から2人目)は来客があると、見た目や盛り付けに気を配って料理を振る舞った。中央下が万暦赤玉大鉢(2000年ごろ撮影、蒲池桃子さん提供)

■古伊万里再現の大鉢 父が愛した母の手料理 

 赤い大玉や全体に施された細かな文様が印象的でしょ。この大鉢は、陶磁器店を営んでいた亡き父が、古伊万里の作品を基に十数年前に復刻したもの。人をもてなすのが好きだった父は、おくんちや誕生日などのお祝い事には友人や知人を自宅に招いていました。気が合う仲間が訪れたときは、テーブルの真ん中に、母の手料理を盛った大鉢がいつも置かれていましたね。

 7年前に亡くなった母の綾子は料理上手で、お客さまの中には「料亭綾」と呼ぶ人もいるほどでした。大鉢は何度も使われたので、箸ずれが器の表面に走っているのが見えます。

 この大鉢には、母が得意にしていた大根やがんもどきなどの炊き合わせを盛ることが多かったですね。父が器のデザインや形を気に入っているのを知っていて、手料理で見栄えよく飾っていたのでしょう。ユズを散らしたり、野菜に1種類ずつ味を含ませたりして手間を惜しまず、盛りつけにも気を配っていました。

 食いしん坊だった父と一緒に、母はいろいろなお店で食事をしたようです。父がおいしいと言った料理を覚えて、家でも出していました。それでも父が最も愛していたのは、母が作る丁寧な家庭の味だったのでしょう。だから多くの人を招いて、母の料理を自慢していたのだと思います。

 母は父の再婚相手で、私が高校生のころに家に来てくれました。私は高校、大学と県外で学んでいたので、一緒に暮らしたのは大学を卒業してから。家事の手を抜かず、暮らしの一つ一つを大事にする生き方を尊敬していました。学生時代、帰省するたびにおいしい料理を作ってもらい、とてもうれしかった。父と同様、胃袋からつかまれたみたいでしたね。

 母が亡くなって一番困ったのは、レシピが分からないことでした。料理の手伝いはしていましたが、母はしょうゆや砂糖は目分量。経験と勘と舌で味を決めていました。同じように作っているつもりでも、やっぱり母の味にはかなわない。でも、何度も失敗してやっと「少しは近づけたかな」と思うときもあります。

 この大鉢も母が亡くなってから、ほとんど使っていません。どの家庭も同じでしょうけれど、親類や知人を手料理でもてなす機会は少なくなりました。生活様式が変わったといえばそれまでだけど、家族や親しい友人と、家庭の味を頂く楽しさや温かさはいつまでも大事にしたいですね。=おわり

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