唐船城の近景

■所領を一体経営、有田のルーツ

 有田焼が創業したおよそ400年ほど前といえば、龍造寺家に代わって名実ともに鍋島家による領国支配が確立した頃である。有田の地は、家臣の知行地の30%を藩に返上させた1611年と1621年の「三部上地」によって、武雄の後藤家領から佐賀本藩の直轄領となり、江戸時代を通じて代官が派遣されて、領国経営が行われた。

 しかし、町内でもあまり知られていないようだが、かつては有田に築いた城を拠点とし、現在の有田一帯を統治した、領主兼城主が治めていた時代があった。これが唐船城を拠点とした有田氏の治世で、おそらく、それまで細分化されていた有田の所領が一体的に経営されたはじめての出来事、有田のルーツである。

 12世紀後半の平安時代末期に松浦党に連なる源栄(さかえ)が有田を領有し、諸説あるものの、その象徴として建保6年(1218)年までに山谷牧の唐船山に完成したのが唐船城である。来年は、それから800年。つまり、有田の地が今日のように一つとしてまとまった節目の年なのである。

 現在これを記念し、有田町では先人の偉業に感謝し、関連遺跡を整備し、唐船城や有田氏の知名度を高めて、観光をはじめ地域づくりに生かすための事業の計画を予定している。町民の方々もこれを契機として、ぜひ一度、この地域の風土や成り立ちについて振り返ってみてはいかがだろうか。(有田町教育委員会学芸員・村上伸之)

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