茶室に飾られた作品は、「愛」がびっしり書き込まれている=嬉野市の和多屋別荘

 歯を磨いたりお風呂に入ったりするように、書道は生活の一部だった。県書道教育連盟顧問・県書作家協会顧問の山口流芳さんと県書作家協会会員の芳林さんを両親に持ち、5歳から習字を始めた。

 小学生になると、両親は書道教室で帰りが遅く、帰った家は暗かった。いつも紙と手本が用意され、来る日も来る日も字を書いた。書くのが好き、嫌いというより、“当たり前”の感覚。

 決して嫌ではないけれど、テレビも見たかったし、ゲームもしたかった。友達は外で遊んでいるのに、何で僕だけ……。紙は時々涙にぬれた。それでも続けられたのは、優しくもあり厳しくもある両親の愛情を感じたから。習字で賞を取ると家族は大喜びだった。小学校の卒業文集にも、将来の夢を「書道教室の先生」と書いた。

 高校生になった16歳。両親の書道教室の助手になり、園児から小学生までを指導した。人に教えるには飛び抜けた技術が必要で、高校生の自分にはそれがなかった。うまくなる必要性を見いだし、好きでも嫌いでもなかった書道を楽しいと思えるようになっていた。

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