「TOMORROW 明日」(c)ライトヴィジン/創映新社/沢井プロダクシン、DVD発売中、3800円(税別)発売元=ブロードウェイ

少女たちが遊んでいる何げない日常が撮影されたオランダ坂を、当時を懐かしみながら歩く津田さん=長崎市東山手町

津田さんが大切に保管している台本

MEMORY 木造路面電車 浦上車庫に保存

■奪われたくない 何げない日常

 入道雲の下でセミの鳴き声が響く。いつも通りの暑い夏の日。長崎市内はカメラを手にした観光客や汗だくの会社員、夏休み中の小学生らが行き交う。明日はもう少し涼しいといいな、今度の休みはどこに行こう-。歩きながら何となく考える。71年前も戦時下ではあったが、庶民の日常があった。そして、それは一瞬で奪われた。

 長崎原爆が投下された1945年8月9日午前11時2分。映画「TOMORROW 明日」は、その前日の8月8日から翌朝までの長崎を描いている。長崎県出身の井上光晴の小説「明日 一九四五年八月八日・長崎」を原作に、黒木和雄監督がメガホンを取った。「美しい夏キリシマ」(2003年)「父と暮せば」(04年)とともに黒木監督の「戦争3部作」と呼ばれる。

 長崎ロケは公開前年の1987年8月に行われた。東山手町のオランダ坂では、防空壕(ごう)の入り口で遊ぶ少女たちが、友人の結婚式に向かう青年に花嫁の名前を教える場面が撮影された。南山手町のドンドン坂は、職場から結婚式会場へ急ぐ花嫁らが、坂道で困っている老夫婦のリヤカーを押してあげるシーンで登場。ほかにもカステラの看板、市内を走る路面電車、眼鏡橋など長崎らしい情景が随所に描かれている。

 エキストラの手配などを担うフィルムコミッションがない時代。映像の仕事に携わっていた長崎市の劇団「劇団TABIHAKU」代表の津田桂子さん(70)は、出演者や撮影スタッフのロケ地への案内、エキストラの募集などを任された。撮影の半年ほど前に、黒木監督と一緒にオーディションを実施。大切に保管している台本には、撮影日やエキストラの名前など手書きメモが残る。「少年少女役は劇団の子どもたち。配給に並ぶ婦人はその保護者、軍人役は海星高の演劇部。100人ほど集めました。妊婦役の桃井かおりさんの方言指導係を担当した人もいます」と懐かしむ。

 津田さんは原爆投下時、母のおなかの中にいた。妊娠3カ月の母は、宝町の軍事工場で被爆し、天井から落下した梁(はり)で背中を強打。翌年2月、津田さんは未熟児で産まれた。母は医師から「この子には名前はいらないでしょう」と言われたという。「母は原爆のことを語らなかった。詳しく教えてもらったのは20代になってから。原爆について知れば知るほど、語りたくなかった母の気持ちが分かりました」と振り返る。

 「県外に行くと、長崎や広島の原爆について知らない若者の多さに驚く」と津田さん。主宰する劇団では、年に1本は平和について考えるきっかけになるような作品を選んでいる。「せめて長崎で生まれた人には、長崎で起きたことを知ってほしい」

 71年前、もしも原爆がなければ、人々はどんな明日を刻んでいったのだろう。楽しい日も悩む日も、何げない日常がかけがえのないものだと映画が教えてくれた。

■「TOMORROW 明日」ストーリー

 1945年8月8日。戦時下の長崎で、結婚式がつつましく行われていた。新婦ヤエ(南果歩)、新郎庄治(佐野史郎)を囲み、笑顔で記念撮影。ヤエの姉ツル(桃井かおり)は式の途中で産気づき、妹の昭子(仙道敦子)は恋人から赤紙が届いたと告げられた。その晩、ヤエと庄司は「明日一緒に買い物に行こう」と約束して眠りにつく。原爆が投下されることを知らず、懸命に生きる人々の日常を淡々と描いている。

 出演はほかに長門裕之、田中邦衛ら。1988年公開。カラー、105分。

■MEMORY

【木造路面電車】浦上車庫に保存

 映画に登場する路面電車は、長崎市大橋町の長崎電気軌道浦上車庫に保存されている1911(明治44)年製の木造の「明治電車168号」。

 同市魚の町の主婦、大森敦子さん(71)は、乗客役のエキストラで参加。「白いブラウスに、かすりのもんぺ姿。何しろみなさん映画の素人ですから化粧をして来た人たちもいて、落とすように言われて」とほほ笑む。撮影後は黒木監督が「みなさんありがとうございました」と優しく声を掛けてくれたという。

 71年前の夏、生後4カ月だった大森さん。あの日、三菱長崎兵器製作所茂里町工場で働いていた父を失った。「きっといつも通り出勤したんだと思う。原爆で、家族の人生は大きく変わった。完成した映画を見てとても胸に響いた。原爆のことを伝える作品に関わることができてよかった」と静かに語った。

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