山辺田遺跡の発掘調査報告書

 有田焼創業400年事業(佐賀県プラン)で、2013、14年度に色絵磁器創始の解明を目指して実施した山辺田遺跡の発掘調査の報告書がまとまった。それ以前の出土品も含めて、これまでに出土した色絵磁器片は千点以上、製土遺構や赤絵窯跡なども発見され、国指定史跡山辺田窯跡に関わる工房跡であることが確実になった。この色絵磁器は、現在でも『古九谷』の名で呼ばれるが、実は有田の地で誕生し、刻々と変化する市場との葛藤を経て役割を終え、有田の地で終焉(しゅうえん)を迎えたのである。

 日本初の色絵磁器「古九谷」。濃厚な緑や黄、紫など寒色系の上絵具をふんだんに用い、重厚感に満ちた大胆な構図が印象的である。もっぱら、加賀百万石の洗練された文化を背景に狩野派をはじめとする絵師によるプロデュースとされ、大正から昭和初期には石川県九谷産とする捉え方が定着した。さらに、昭和前期にはその領域を次々と広げ、伝世する染付や青磁、白磁、鉄釉磁など優品の数々すら九谷産に転籍し、わずか登り窯2基の零細な産地が、名目上はなぜか有田をも凌駕(りょうが)する磁器の大産地と化してしまったのである。

 ところが、それからおよそ1世紀。発掘調査の進展などにより、すでに染付も青磁も、白磁も鉄釉磁も有田産へと復帰、ようやく色絵磁器の産地論争も終結を迎えようとしている。この客観的な現実の直視から、新たな歴史解明の第一歩がはじまるのである。

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