ゆかりの旧大島邸で呈茶を行う宗?流旧大島社中の皆さん=4月

 ■明治以降、庶民に定着

 現在、茶の湯をたしなんでいる人の多くは、千利休の孫である千宗旦の子息、宗守、宗左、宗室を祖とした武者小路千家、表千家、裏千家という流派に所属しているが、唐津では宗〓流も盛んである。

 宗〓流の祖は宗旦の門下で四天王と言われた山田宗〓。彼は宗旦から利休正伝の継承者とまで称賛されたが、一般的には元禄15(1702)年の赤穂浪士の吉良邸討ち入りに際し、浪士の大高源吾に吉良邸での茶会の開催日を教え、本懐を遂げる手助けをした人物として知られている。

 明暦元(1655)年、宗〓は三州吉田(現・愛知県豊橋市)の小笠原家に請われて茶頭になった。文化14(1817)年、小笠原家が唐津に転封になるや、宗〓流も唐津に伝わった(唐津での茶頭は5世宗俊、6世宗学、7世宗寿)。

 宗〓流はもともと武家の茶の湯であり、江戸期には町人とは無縁のものだったが、明治以後は中村宗〓らが中心となって庶民に定着させた。その陰には大島興義(大島小太郎の父)や高取伊好らの金銭的な援助もあった。

 現在、宗〓流の社中の皆さんによって、小笠原家の菩提寺である近松寺では定期的に茶会が開かれ、旧大島邸でも呈茶を始めた。

 日本の伝統文化を継承することは並大抵ではないと思うが、次世代を担う若い後継者の育成が気になるところだ。

 茶の湯はただお茶を飲むということだけではなく、厳格な作法を通じて自分自身の心を磨き、相手を思いやるという、現代人に必要とされる大切な要素が多々含まれている。茶道の心を受け継ぐ唐津の良さをあらためて思う。

 たなか・まこと フリーの編集者で、民俗学、歴史を中心に編集・執筆活動を行う。1954年生まれ。唐津市桜馬場。

〓はギョウニンベンに編のツクリ

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〓は王ヘンに民

〓はギョウニンベンに編のツクリ

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