6日の広島原爆忌、昨日9日の長崎原爆忌、そして15日の終戦の日。あの戦争を語り継ぐ日が続く。この時期に集中する報道を「8月ジャーナリズム」と揶揄(やゆ)する向きもあるが、戦争体験者が少なくなる一方、国の平和と安定をめぐる内外の情勢は複雑さを増す。報道を含め、その時どきの視点をもって教訓を胸に刻み直す意義は大きい。

 8月は「同和問題啓発強調月間」でもある。佐賀県独自の月間として1991年から始まった。歴史はそう古くないが、「寝た子は起こすな」論、つまり同和問題、部落差別問題をタブー視しがちな風土の中で差別の歴史と現実に向き合う機会となってきた。

 部落差別の現状はどうか。本紙書評欄で先日紹介した『結婚差別の社会学』(斎藤直子著)は生活の多様化などを踏まえ、「従来の『系譜的連続性・地域的要素・職業』というようなイメージでは実態をうまくつかめない」としつつ、「だからといって問題が『なくなった』のではない。現にさまざまな差別が根深くあり、今も身元調査ビジネスやヘイトスピーチの対象になっている」と指摘する。

 インターネット上には同和地区に対する差別的な言辞があふれる。ネットの匿名性が個人の内面に沈潜していたものを表出させる。こうした感情がなぜ生まれるのか。啓発を形骸化させないためにも直視しなければならない。

 と、同時に、積み重ねた成果を広く社会に還元する必要がある。

 差別と偏見は就労の機会を奪い、経済格差を生む。経済格差は家庭の学習環境の低下をもたらし、子どもの教育や進路に影響を及ぼす。その結果、格差が固定化し、再生産されていく。いわゆる差別と貧困の連鎖である。

 この負の連鎖を断ち切るため、部落差別撤廃運動は学校現場での教育支援や企業の公正採用の取り組みと連携して進められてきた。だが今、同じような連鎖が深刻化している。子どもの貧困である。

 先の佐賀県総合教育会議でも取り上げられ、子どもの7人に1人が貧困状態で、佐賀県内では約7割の子どもが大学などに進学する中、生活保護世帯の子どもは15%にとどまる実態が報告された。

 1965年の同和対策審議会答申以来、同和問題は「国民的課題」としてさまざまな施策が講じられてきた。非合理的な偏見、前時代的な意識が残る「日本社会固有」の人権問題とする位置付けゆえだが、差別はすべて当事者にとって深刻で重大な問題である。

 障害者、ハンセン病元患者らの人権問題がそうであり、在日朝鮮人や韓国人に対するヘイトスピーチ、性的マイノリティーへの偏見など新たな人権問題が浮上する。

 だからこそ、同和対策や差別解消の先頭に立ってきた部落解放運動の到達点と教訓を踏まえ、貧困や格差をはじめ差別を生み出す社会的背景を根本から変えていくことが求められる。

 格差社会を問い続けるジャーナリストの斎藤貴男さんは十数年前、哲学者高橋哲哉さんとの対談著作で「不平等が拡大した階層社会と、自国を疑うことのない愛国心が整った時、戦争は遠くないだろう」と論じた。今日、状況はどうか。戦争を振り返る8月に差別や格差社会との相関を考える。その意義も大きい。(吉木正彦)

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