国営諫早湾干拓事業(長崎県)の開門調査を巡り、長崎地裁が開門の差し止めを命じる判決を出した。開門を求める漁業者、反対する営農者、そして国が同じテーブルで話し合ってきた和解協議が決裂した末にたどりついた結論だが、これで解決への道筋は見えてくるのだろうか。

 すでに確定している、開門を命じた福岡高裁判決とは真っ向から対立する判決である。今回の裁判は営農者と国の間で争われており、漁業者はあくまでも「補助参加」という事情を考えれば、この結果も仕方ないのかもしれない。

 だが、1年以上を費やしてきた和解協議での議論が、今回の判決に十分に反映されたかは疑問が残る。

 というのも、和解協議の経過を振り返ると、長崎地裁は「開門しない」という前提から論議を始めたものの、最終的には「開門」も含めた選択肢も話し合ってはどうか、と考えを変えているからだ。関係者の言葉に耳を傾けるうち、開門だけを切り捨ててしまう議論がいかに公平性、合理性を欠くかに気づいたからだろう。

 それにもかかわらず、長崎地裁は和解協議を打ち切り、開門差し止めという判決を出した。漁業者側が訴え続けた有明海異変の実態から目を背けてしまったのではないかと残念でならない。

 「ギロチン」と呼ばれた潮受け堤防の閉め切りから、20年が過ぎた。戦後の食糧不足を補うという名目から始まった巨大公共事業は、社会環境の変化とともに、その目的を企業誘致をにらんだ都市用水の確保へ、そして防災対策へと変えながら走り続けてきた。まさに「止まらない公共事業」そのものと言っていい。

 豊かな海の恵みをもたらしてきた「宝の海」はギロチンを境に、漁業者と営農者、そして佐賀と長崎の地域対立など、「いさかいの海」へと姿を変えた。

 この間、明らかになったのは国の当事者意識の欠如と、不誠実な態度である。福岡高裁の開門判決と、長崎地裁の開門差し止め仮処分を並べて、「二つの義務のはざまで、どちらか一方の立場には立てない」と、国は自ら解決に乗り出そうとはしてこなかった。

 そればかりか、長崎地裁の和解協議の過程では、漁業者の分断を狙ったと思われる働きかけまで明らかになった。有明海再生の「100億円基金」案を巡って、佐賀、福岡、熊本の漁業者団体の幹部に「想定問答」を示していたという。何とか開門せずに済ませたいという思惑が透けて見える。

 こうした国の姿勢が、事態を一層複雑にし、解決を遠ざけてきた原因だと指摘しておきたい。

 やはり、有明海異変のメカニズムを解明するためには、福岡高裁の確定判決に立ち返って開門調査に踏み切るべきだ。

 もちろん、開門によって営農者が被害を受ける事態は避けなくてはならない。「農業か、漁業か」という対立の構図ではなく、双方が事業を続けられる道を探るべきだ。たとえ、開門の是非を巡って意見が異なったとしても、歩み寄りの余地はあるはずである。

 争いの舞台は、福岡高裁へと移る。宝の海を取り戻し、将来世代へ引き継ぐため、福岡高裁には開門へ向けた速やかな決断を期待したい。(古賀史生)

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