「鉄道のまち」の礎を築いた八坂甚八翁をたたえる頌徳碑=JR鳥栖駅東側

 JR鳥栖駅周辺のまちづくりの基本計画づくりと、これと連動して整備する都市計画道路の検討が本年度スタートした。完成後はどんなまちを出現させるのか、夢のある青写真を描きたい。

 鳥栖駅周辺整備は1987年に鉄道の高架化計画が浮上したが、その後曲折を経て、鳥栖市が白紙撤回。橋本康志市政のもと、改めて検討され、3月に線路上に新しい橋上駅を造って自由通路で駅の東西を結び、西口に加えて東口も設けて、公園や周辺道路を一体整備する基本構想をまとめた。

 これを受けて、駅の南北で線路と立体交差する都市計画道路3本の再検討にも着手した。鉄道で分断されてきた東西の市街地の交流を活発化させようと計画されたが、鉄道高架撤回で凍結していた。5月に地元住民や有識者らによる懇話会が発足し、従来の計画通り進めるのか、変更するのか、必要性が低下している場合は廃止することも含めて幅広く議論し、来年2月に市に提案する。

 当然ながら計画推進には多くの課題が想定されるが、駅周辺整備は30年遅れで動き出したわけで、大きく遅れたならばこそ未来を見通したまちづくりをしたい。

 鳥栖市は国道、鉄道、高速道路の分岐点で、新幹線も走る九州陸路交通の拠点として発展してきた。それは先輩たちが「こうなりたい」との夢や思いを掲げ、努力を積み重ねてきたからだろう。

 例えば、「鉄道のまち」の礎を築いたのは八坂甚八(やさかじんぱち)翁である。明治から大正期にかけて大地主で実業家として活躍した八坂翁は、明治中頃、九州鉄道の開通にあたって、鉄道の時代の到来を見越して鹿児島線と長崎線の分岐駅の誘致に奔走し、駅の建設用地を提供している。そして、最初の鳥栖駅が誕生した。現在の鳥栖駅東側には頌徳(しょうとく)碑が建っている。

 さらに例を挙げるなら、1954年の市制施行以来、県と組むなどして地道に続けられてきた企業誘致の取り組みである。これまでに六つの工業団地、計228ヘクタールを整備し、194社を誘致した。それが、今の新産業集積エリア整備、国家戦略特区申請へとつながっている。まだサッカー文化が根付く前に、人口6万人弱のまちに2万5千人収容の巨大な鳥栖スタジアムを造ったのも夢を実現させたいとの思いを貫いたからだと思う。

 先輩たちはときに常識を超えた壮大な夢を描き、もがき、そしてリスクを乗り越えてきた。鳥栖市は今も鳥栖駅周辺まちづくりをはじめ大型事業を構想し動き続けている。それをもっと動かすにはどうしたらいいのか。「こうなりたい」ともっと強く思うことではないか。コストに目を配りながらも、まちづくりの物語やデザインを練りたい。(高井誠)

このエントリーをはてなブックマークに追加