現在の鳥栖市曽根崎町一帯が空襲を受けた時の写真。左下では爆弾がさく裂している=米マクスウェル空軍基地歴史資料室所蔵/工藤洋三氏提供

米軍機の機銃弾が貫通した経典=鳥栖市藤木町の長福寺所蔵

 終戦4日前の昭和20(1945)年8月11日の「鳥栖空襲」やその前にあった米軍機による機銃掃射について、資料や写真で振り返る企画展が11日から鳥栖市立図書館で開かれる。鳥栖空襲の写真やこの空襲で死亡した女子児童の死体検案書、米軍機の機銃弾に貫かれた経典など初公開4点を含む20点を展示する。9月22日まで。

 鳥栖空襲は夏の太陽が照りつける午前10時半から11時20分にかけてB25爆撃機により3波の攻撃を受け、市民ら119人が犠牲になった。鉄道輸送の要の地で、軍需工場があったことから狙われたとされる。

 企画展は「あの日、鳥栖のまちは『戦場』となった」。鳥栖空襲時の写真は米マクスウェル空軍基地歴史資料室所蔵で、西方向から侵入して現在の曽根崎町一帯を空爆したときの記録写真。爆撃成果を確認するため編隊最後尾の上空を飛行していた爆撃機から撮影され、爆弾がさく裂した瞬間が捉えられている。

 死体検案書は田代国民学校(現田代小)4年の9歳の女子児童のもの。この家では曾祖母とみられる81歳の女性も同時に亡くなっている。死因は「投下爆弾爆圧死」と記されている。

 機銃弾に貫かれた経典は昭和20年7月28日の米軍機の機銃掃射が命中したものとみられ、同市藤木町の長福寺に保管されている。

 これらは今回が初公開で久山高史・市教委文化財係長(52)は「地方都市の鳥栖でも空襲で多くの人が亡くなったことを知ってもらい、平和について改めて考える機会にしてほしい」と話している。

このエントリーをはてなブックマークに追加