基肄城跡の南端にあたる水門跡で、ボランティアガイドから解説を聞く参加者たち=基山町

米倉礎石群と呼ばれる地点。炭化した米が見つかることから、米の貯蔵施設があったと考えられている

頂上からは基山町内などが見渡せる

 基山町の北に位置する基山(きざん)(404・5メートル)。ここには665年に築かれた日本最古の朝鮮式山城「基肄(きい)城跡」が残る。県内第1号の国指定特別史跡であり、昨年「続日本100名城」にも選ばれた。3日に開かれた町内の小中学校職員対象の現地研修に同行し、当時と変わらず清らかな水が流れ出す水門など、その魅力を味わった。

 午前8時50分、史跡の南端に位置する水門跡に参加者が集まった。水門は石積みの構造物で、主要な遺構の一つ。法被姿のボランティアガイド男性が「最も高い部分で8・5メートル、横幅は26メートル。2010~14年まで保存修理工事が行われ、新たに三つの通水口が見つかった」と解説してくれた。水門は今なお現役で、清流がよどみなく流れ出ている。傍らには神社があり、厳かな雰囲気が漂っている。

 今回は水門跡を出発点に山中に点在する史跡を巡り、基山山頂を目指す約2時間のコース。出発からしばらくは舗装道だが傾斜があり、早くも肩で息をしていた。すると、先導役の文化財担当者から「今からが本番ですよ」の声。前方を見ると、木々が生い茂る山道に分け入っていた。

■炭化した米出土

 意を決し足を踏み入れると、山の斜面にある登山道は思いの外道幅が狭い。森の中は日光が遮られ涼しいが、あっという間に汗が吹き出してきた。足元は所々階段状に整備されている。次第に足が上がらなくなり音を上げそうになっていると、前方に平たくならされた地点が見えてきた。

 米倉礎石群という一画で、平たい石が地面に複数点在している。何らかの建造物があった証だ。文化財担当者によると米倉と呼ばれているのは、炭化した米が見つかるからだそう。ただ、「国の史跡のため持ち帰るのは御法度」だという注意もあった。

 続いて見えてきたのは鐘撞(かねつき)跡と呼ばれるポイント。寺院の関連施設があったと言われる場所で、城内が展望できることからのろしを上げる場所だったのではという説も。現在は木々が茂って見えないが、この場所から太宰府へ火急の知らせを伝えていたと思うと、夢が膨らんだ。

 いったん勾配が緩やかになり、直径18メートルの大きなくぼみがある「つつみ跡」を過ぎると、歩く道の左右が低くなっていることに気づく。土を積み固めた土塁と呼ばれる城壁の上を歩いているためだ。古代の人々の営みを感じながら先へ進む。

■疲れ消し飛ぶ眺め

 筑紫野市側に下る近道として利用されていたという東北門跡を過ぎると、地面に平たい石が多く見られるようになってきた。丸尾礎石群と呼ばれる場所で、瓦の破片も多く見つかっているという。登山客が拾い集めたものなのか、所々に破片が集められ、積み重なっていた。

 再び急な傾斜を登り切ると、いよいよ頂上にたどり着く。基山町内はもちろん、天気が良い日は太宰府まで見渡せるという。それまでの疲れが消し飛ぶ眺めの良さだった。山頂には「天智天皇欽仰之碑」が建ち、タマタマ石という巨石が鎮座している。環境省レッドリストの絶滅危惧(2)種指定を受けている「オキナグサ」の貴重な自生地でもあり、3月には花が咲くという。

 …………………………

 「山の日」の11日、県内でも多くの人たちが登山を楽しんだ。基山のみならず、身近な地域の山で豊かな自然とそこに根付く文化に触れてみることも大事にしたい。

このエントリーをはてなブックマークに追加