戦国時代、勝尾城があった城山=鳥栖市

■筑紫氏城拠点に勢力争い

 応仁の乱(1467~77年)以降、室町幕府は弱体化し下克上の風潮の中、群雄が割拠して相争う、いわゆる戦国時代を迎える。

 鳥栖市の北西部、城山(じょうやま)(標高501.3メートル)の勝尾城主筑紫氏は、周りに高取城、葛龍(つづら)城、鬼ケ城、鏡城、若山砦の支城群を配し、龍造寺、大友、島津氏らと勢力を競った。

 筑紫氏は1497(明応6)年、三根・神埼両郡を統括する将に命ぜられている。1586(天正14)年7月に九州制覇を目指す島津軍2万から3万の猛攻撃を受けて勝尾城が落城するまでの1世紀近くにわたって、現在の鳥栖市、三養基郡、福岡市早良区、春日市、小郡市、筑紫野市、大野城市、那珂川町一帯で勢力をふるった。

 この時期、大興善寺は文明、享禄(きょうろく)、天文と3度の兵火に遭い堂塔は焼失する。うち、天文の兵火に際し、勝尾城主筑紫惟門は1542(天文11)年、施主として再建に尽くした。

 小林山専念寺(基山町園部)は、かつて筑紫氏の菩提寺であったと伝えられ、位牌(いはい)のほか、本堂脇には「永禄十一(1568)年至徳院岩松良祝大居士(筑紫照門)辰八月三日」と、刻まれた多重石塔が残る。

(地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)

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