鳥栖市本町・八坂神社の境内に仏堂があり、一隅に役行者が祭られている

 鎌倉幕府の滅亡に続く南北朝争乱で全国が長期の戦乱に巻き込まれる中、人々は現世利益と後生安楽を願って宗教にすがる。

 一方、荘園を中心とする権益を有する有力寺院・神社は勢力を保つために武装し、戦乱に加わる。

 さらに「両部神道(りょうぶしんとう)」など新しい思想の流れの中で、平安時代以来の「本地垂迹説(ほんちすいじじゃくせつ)」、すなわち本地である仏が神の姿で我が国に現れたとする「神仏混交思想」が逆転し、神こそが本地であり仏の姿で人々に教えを説くとする「神本仏迹説」がおこる。

 比叡山・高野山・彦山・羽黒山などの山岳修行者は、奈良時代の行者で山岳信仰に仏教を取り入れた葛城山の呪術師「役小角役行者(えんのおづぬえんのぎょうじゃ)」を修験の開祖として祭り、各地に「行者堂」が生まれる。

 鎌倉時代末には宗教の政治利用が活発になり、後醍醐天皇は真言宗に神道の要素、陰陽道(おんみょうどう)を取り入れた「真言立川流」に帰依し、秘密結社「破礼講(無礼講)」を開いて自ら幕府の滅亡を祈祷(きとう)する。

 鎌倉幕府滅亡後、足利尊氏は臨済僧夢窓疎石の勧めで戦没者供養の「安国寺」を創建し、弟足利直義は後醍醐天皇の霊を弔う「天龍寺」のため「天龍寺船」を明に派遣して貿易の先べんをつけ、政治・経済・宗教の一体化が進み、宗教勢力が時代の背景になる。(高尾平良・鳥栖歴史研究家常任講師)

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